1980年8月8日 田園コロシアムでデビュー
(GORO 1988/3/24号より)
1980年8月8日にようやく"松本香"、つまり本名でデビュー戦を飾る。相手は同期の新国純子だった。ちなみにこのときに長与千種も大森ゆかりを相手にデビュー戦を飾っている。
松本はオーディション合格からプロになるのでの苦労があり、さらにプロテスト合格後もイジメや練習の苦しさも味わい、何度も挫折を味わいます。
ようやくたどり着いたデビュー戦は勝てて本当に良かったと思います。
ここまで辿り着く経緯を当時の本から引用してみます。
おかあちゃんより----------------------
女子プロレスの寮は事務所のビルの屋上に立てられたプレハブ造りの建物の中だった。
そこに私たち新人は六人部屋で暮らすことになった。生涯のライバル、長与千種、大森ゆかりらも同期でいた。翌日から練習が始まった。正直、練習はきつかった。女子プロレスに入団したときから、私は落ちこぼれだった。他の人よりわたしは特別に体重が重いので動作がのろかった。
そのこと一つでもわたしは先輩たちの反感をかった。私の動作がのろいのは、決してわざと遅くしているからではなかった。だが、どんなにわたしが一生懸命がんばっても、わざと遅くやっているようにしか先輩たちの目には映らなかった。
それだけで目をつけられて、わたしは人よりもたくさんしごかれた。みんな休んでいるのに、私は倒れるまで際限なく同じ練習をさせられた。リングの周りを体育館を、倒れるまで何周も走らされた。どんなに喉が渇いても、決して身がを飲ませてはくれなかった。先輩との練習はつらかった。嫌で嫌でしょうがなかった。それがつらくて、数日でほとんどの新人たちがやめていった。
ここでは先輩は絶対的な存在だった。それで毎日のようにしごかれた。足の裏の皮がベロリとむけて、なかなか癒えなかった。だからといって、容赦などしなかった。
「お願いします。教えてください」
そんなふうに聞きに行っても、誰も何も教えてくれない。燃えているタバコの火を手の甲に押し付けられたこともある。それが怖くて痛がると、ますますいじめはエスカレートしていった。そして痛がる私たちを追いかけまわしては面白がった。
一番つらかったのは先輩にシカトされることだった。何か文句を言われる方がずっとマシだった。文句を言われたり怒鳴られたりすると、"ああ、この先輩はこういうことを思っているんだな、こういうことで私を怒っているんだな。じゃ次からは気を付けよう"となる。それが文句の一つも言われずに完全にシカトされる。わたしに一言もしゃべってくれない。挨拶もしてくれない。
そうなると、これからどうしたらいいかさっぱり分からない。ただオロオロと先輩の影にいつもおびえていた。
練習がつらいと、よく同じ年頃の女の子を見てはため息をついた。事務所の前を行きかうOLの眩しい姿。彼女たちは、自分達とは違う遠い世界の人のように思えた。それに比べて自分たちはどうしてこんな生活をしなくちゃいけないのか。だからといって、先輩たちに監禁されて、逃げようにも逃げられない状態にあるわけではもちろんなかった。
「逃げたければ、いつでもどうぞ」
やめるのを止めたりなんて絶対にしなかった。黙っていても、新人なんて代わりはいくらでもいるのだ。新人の頃はつらい思い出しか記憶にない。お金もなければ、先輩のいじめから逃げ出す術もない。外で見ているのと、内で見ているのとでは全く大違いの世界だった。
しかしだからつらいからというだけではやめられない。やめたら、もうそれでおしまいなのだ。何しろ親の反対を押し切って入ってきた世界だ。ここを離れたら、もうどこへも行くところがない。仕事もないし、家にも帰れない。しようがないから、いじめられても何をされても、もうどうでもいいやって腹をくくってされるがままになっていた・・。
新人の頃、最初私は女子プロレスの宣伝カーの運転手をやっていた。「女子プロレスがやってきますよ!」 巡業の先陣を切って現地入りし、宣伝カーで流して回るのだ。実はこの仕事、私は意外と気に入っていた。先輩のイジメもないし厳しい監視もない。田舎道で適当に宣伝カーを走らせておけばいいのだ。一日中、同じテープを流して、朝から晩まで走っていた。女子プロレスから逃げ回るように走っていた。
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また、デビュー戦の試合の話を本から引用してみます。
私じゃダメかい より---------------------------
プロテストに合格しても、試合にはなかなか出してもらえなかった。地方遠征に行っても、会場のイス並べばっかり。それでも連れてってもらえるだけ、マシだった。
試合のない日は1日、7時間のトレーニング。そういう日が続くと、いらついてくる。だから、やっとデビュー戦を組んでもらえたときは、思いっきりぶつかった。そして勝った・・。
けど、その1勝のあとは、出ると負けって状態が、かなり続いていたんだ。リングに上がるのが、怖くって、怖くって。試合恐怖症に、なっちゃってた。
同期生なんかとやるときでも、そうなんだから。先輩とぶつかるときなんか、もう目の前が真っ暗って感じだった。
女子プロの新人同士の試合なんて、相手のことがみえていなから、ほとんどケンカの世界だった。女のたたき合い、殴り合いのケンカって、目も当てられない。リングの上で、そういうケンカが始まるようじゃ、お客は離れていってしまう。だからそういう点について、女子プロは厳しかった。
「リングの上では私情を出すな」ってね。
相手の動きが良く見えるようになってくると一人前のプロ。
そうなるまで、耐え続けるって大変だぜ。だって明日が見えないんだから・・下積みのときって。
それに新人の頃は、どうしたって萎縮しちゃってる。第一に声がでない。女子プロの専売特許の
「バッキャロー」
が、出せない。お客の前で、このセリフを大声で叫べるようになるには、やっぱり年季が必要なんだ。
「おい、ねぇちゃん。声が出てないよ!」
なんてお客から声がかかる。そんなとき新人の子って、「すみません~」って謝っちゃうんだ、ウブだから。そいう恥ずかしさって、一度思いっきりやっちゃうと、なくなるもんね。
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続いて、長与千種の話から、デビュー戦までの話を引用してみます。
クラッシュギャルズ ほほえみスリーカウントより---------
長与千種の話。
女子プロレスに入門してすぐに合宿生活。事務所の上にある合宿所は、台所にカウンター、お風呂があって、部屋が3つ。部屋には2段ベッドがひとつか2つ。合宿に入ってたのは、クレーン・ユウ、ダンプ松本、もうやめちゃったけど、あと2人と私。
食事はね、みんなでお金だしあって、市場で材料を買い込んできて、分担して作ってた。野菜炒め、カレー、サラダとか。そうたいしたものは作れませんでしたけど。
合宿で楽しかったことっていえば、化粧道具を買ってきて、顔にメイクしてキャッキャッいって遊んでたこと。化粧なんてしたことないから、見よう見まねでもうメチャクチャでした。
やがてプロテストとなる。リング上で自己紹介して、1分間受け身。そのあと、腹筋、腕立て、胸に人をのせてブリッジ。それからスパーリング。大森さんとやって、1対1でした。だめかなぁと思ってたけど、その日に受けた私、大森さん、ダンプ、新倉純子、坂本和恵の5人は全員合格しました。
プロテストに合格すると、すぐに旅に連れていかれたんです。その頃、巡業はA班とB班に分かれていて、A班はジャッキー佐藤さん、ミミ萩原さん、ジャガー横田さん、池下ユミさん、大森さん、それに北村智子もAでした。B班はっていうと、ナンシー久美さん、ルーシー加山さん、トミー青山さん、デビル雅美さんたち。この下に、クレーン・ユーやダンプ松本、私たち。
メンバーみて、なんとなくわかる? B班って、行くとこ行くとこ、田舎なんですよ。どこかの島にいってて、台風がきて出られなくなってしまったこともありました。A班のほうは、都会まわりが中心で、テレビ撮りも、AはあってもBはないってこともありました。
専用バスも私たちにはなくて、レンタカーのマイクロバスで巡業に出かけてたんですね。私たちには何の期待もされてないんだなって思いましたね。
こんな私たちでも地方にいったら、試合をやるんですよ。まだデビュー戦前で、やっと受け身がとれるようになったかどうかって段階ですよ。即席で技を教えてもらってね。でも、教えてもらっても何もできないから、先輩たちもそのうちサジを投げちゃってね。デビルさんくらいでした。最後までガマンしてくれたのは。
「オマエらは私たちがこんなに真剣なのに、なんで分からないんだ」って殴られながら練習したこともありました。「立て」って言われて立ったら、張り手。私たち泣きながらやってましたよ。それでもデビルさんも3年目で、いくら一生懸命教えてくれても、強い人の揃ったA班で練習してた人達との差はどんどん開いてました。
やがて8月8日、田園コロシアムで夢に見た、そしてほろ苦いデビュー戦を迎えた。デビルさんが水着買ってくれたんです。
しかもすぐに着れるように試合用にちゃんと直しといてくれました。そして「がんばるんだよ」って励ましてくれたけど、あんまり実感わいてこなかった。終わってからですね、あんな大きいところでやって、怖かったって思ったのは。結果はね、さんざんでした。A班の選手とB班の選手が対抗で対戦するって形だったんだけど、ユウとダンプ以外はみんな負けちゃって。私も大森さんとやって、ただガムシャラにやって、かんたんに負けちゃった。試合をみてたデビルさん、パッといなくなっちゃってね。私、せっかく教えてもらったのに、負けちゃって泣いていたんです。そしたらトミーさんに「泣いてどうなるの。泣いたら天神(デビル)、おこるばかりだよ。悔しいと思ったら見返してやんな」っていわれました。それからです、こいつらには絶対に負けないって思い始めたのは。
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ようやくテレビ中継にも初登場します。