1980/11/5 松本香のテレビ中継初登場 新人王トーナメント 対坂本和恵戦 コノヤロー連発!
AJWW 1980/11/5 木更津・倉形スポーツ会館 松本香vs坂本和恵 新人王トーナメント
TimTamchannelさんのYoutubeより


(↓AI変換したフルハイビジョン動画です)

[AI FHD 60fps] AJW 1980 11 05 木更津・倉形スポーツ会館 松本香vs坂本和恵


世の中が動くスピードは加速度的だ。

昔は一度見逃した映像を見ることはできなかった。1970年代にビデオデッキが登場して、ようやく極一部のお金持ちの人だけが、録画をして再視聴できるようになった。1980年の頃はビデオデッキを持っていた人は、そこそこ裕福な家庭だろうし、ましてやテープを山積みにして保存しておくなど、相当なお金があり、マニアでなければ出来ない。

この動画の保存主も、経済的に余裕があって、さらに女子プロ大好きな人に違いない。感謝したい。

 

新人のダンプ(松本香)の映像が、果たしてどれくらいテレビで放映されたのかは定かではないが、フジテレビの過去のダンプの映像というと、この試合か、伊豆合宿の映像くらいしか見たことがない。(伊豆合宿はYoutubeにないので、アップロードされるのを望んでいます)

(また、1981年以降だと多少動画に落ちています)

 

ちなみに1980年度の新人王決定戦は以下の動画でライオネス飛鳥が勝利で優勝している。

ここではダンプの話をしたいので、飛鳥はパスしますw

 

1980年度といえば華の55年組みということで、ライオネス飛鳥、長与千種、ダンプ松本、大森ゆかり、クレーンユウといった百花繚乱なメンバーですね。

長与千種は、湿疹が出来たとか体調不良だとかで、次の年の新人王決定戦に登場しているので、1980年度は順当に大森ゆかりと、ジャッキー二世と前評判の北村智子(ライオネス飛鳥)が決勝となったわけです。

この年、松本は1980/12/15 大田区体育館の準決勝で北村智子(ライオネス飛鳥)に敗退。

(ちなみにこの日、飛鳥のファン1号と思われる女の子が梅屋敷駅で電車にひかれて死亡するという痛ましい事故が起きている)

ダンプのデビューまで想像を絶するドラマは、「ザ・ヒール」や「ダンプ・ザ・ヒール(マンガ)」に詳しく書かれているので、そちらを参照していただくとして、この試合を楽しくツッコミながら行こうかと思います。

 

 

選手紹介では非常に落ち着いてガウンを脱いでいます。このあと極悪となるのに、丁寧にお辞儀をして、質素なお嬢さんという感じです。

ダンプがプロテストに合格してデビューしたのは1980/7/1と「女子プロレス40年史」には書かれていたが、実際は1980/8/8の田園コロシアムのデビューです。新人王決定戦はすでにデビューから3か月が経過しているので、紹介時の落ち着きも納得です。

まず気になるのはの紫のガウンです。綺麗で色も目立ちます。自前なのでしょうか。全女では先輩のお下がりをもらう、というのがありましたので誰かのお下がりかもしれません。ダンプは入門時から相当なイジメにあっていたようなので、もらえるとしても池下ユミさんやマミ熊野さんでしょうか。(んーでもマミさんはクレーンがイジメられていたと書かれていたからどうだろうか)

 

 

このヒョウ柄の水着はかなり大胆ですが、本庄ゆかり(クレーンユウ)が新人の頃に着ていたような?  体型が近い2人ですし、お金もない頃でしょうから、試合に出る日はお互いに使いまわしをしていた、ということもあるんでしょうかね。(^^; 

 

 

ゴングが鳴ってから坂本が攻めます。

 

 

松本「コノヤローッ!!!」

松本「ア~ッ!!!」

 

怒りの火がついたのか、「コノヤロウ!!」「ドリャー!」「アーッ!」という雄たけびとともに重量チョップ攻撃。ダンプは新人の頃から、声がよく通りますね。他の選手の「コノヤロウ」は聞こえないときがありますが、松本香の「コノヤロウ」は、会場中を突き抜けて、驚きと笑いを誘います。いや、本人は至ってマジメな気合だと思いますし、気持ちでは絶対に負けないというファイトが見えるので、私は「コノヤロウ」連発は非常に好感が持てます。

確かオーディションのときに、「元気な声で印象づけたら松永会長が〇印を書いてくれた」とあったので、元気で声を出す、というのを心掛けていたのかもしれません。

 

ちなみに「コノヤロウ」の声については以下のエピソードがある。

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「私じゃダメかい」より

新人の頃はどうしたって萎縮してしまって声が出ない。女子プロの専売特許の

<バッキャロー>

が出せない。お客様の前で、このセリフを大声で叫べるようになるには、やっぱり年季が必要さ。

「おい、ねぇちゃん。声が出てないよ!」

なんお客様から声がかかる。そんなとき、新人の子って、

「すみませ~ん」って謝っちゃうんだ。ウブだから。そういう恥ずかさって1度思い切ってやっちゃうと、なくなるもんね。

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佐藤ちの選手が解説をしています。

志生野アナ「松本香選手、体が大きいですね」

佐藤「何回か私も当たったんですけど物凄い力なんですよ。こっちが攻めていても本当に疲れるっていうか、なんていうか・・」

志生野アナ「わかりますよ。決して背は高くないんですが、かつてジャンボ宮本という選手がいましたよね。そんなタイプじゃないんですか?」

佐藤「そうですね、よく似てます」

志生野アナ「性格なんてどうなんですか?」

佐藤「とっても面白い子なんです。年中、人を笑わせていて」

志生野アナ「明るいの?」

佐藤「それで反面、涙もろいところがあって」

志生野アナ「気は優しくて力持ち、そういう感じなんですね」

佐藤「ええ」

志生野アナ「技はどうですか?」

佐藤「力を利用した技が多いですね。『体当たり』とか・・」

志生野アナ「そうですか」

 

会社はジャンボ宮本のベビーフェイス路線でも行けるのではないかと、この頃は探っていた感じがあります。私は当時の松本香時代の試合を見ていると、意外とベビーでも行けたんじゃないかと思います。ただ、ダンプ時代のような爆発的人気にはならなかったと思いますが、世の中、なにがどう人気が出るか分からないですからね。

 

また、佐藤さんはB班だったのでよく見ていますね。松本のことを「面白い子」「人を笑わせる」「涙もろい」、おそらく全部当たっているんでしょう。

よくよく考えると「体当たり」って技なのかなーー??? ってツッコミたくなるのですが、そのあと衝撃の場面があります。

 

 

「行くぞ、コノヤロウ~!」の声とともにボディアタック。バチッというか、ビシャッというか、擬音にするのが難しい聴いたことがない音が響きます。

志生野アナ「物凄いですね、今の音・・・いやぁ驚きました」 

宮尾「凄いですね」 

志生野アナ「いやぁ、凄いです・・」 

テレビのマイクだとあまり収音できていないのですが、このボディアタックの会場でのぶつかったときの音は、物凄い音だったと想像できます。

そもそも体ごと体当たりする「ボディアタック」は自分も相当に痛い技だと思うし、これをやるのもけっこうな勇気が必要でしょう。

この技は松本香時代の基本技となります。お客様を沸かせる、松本の一番の技です。その後、ラリアートを習得するまでは、体当たりとヒップアタックが中心となります。

この体当たり、派手さもあり、痛さもお客様に伝わる、いい技だと思います。

 

 

また弓矢固めも披露しています。入門時にジャガーから「基礎体力がない松本とユウなんて、プロレスラーとは言えない」という厳しい意見を言われていましたが、2人とも留年組なので1年半?の練習でキッチリと試合にはなっていると思います。というか、私の想像以上に新人なのに堂々とレスリングしています。「ダンプ・ザ・ヒール」を読んでいると、一方的に攻められて何もできないみたいなイメージですが、全然違います。もちろん技的には力押しは否めませんし、受けがうまくないために坂本が攻めている感じがしないし、松本が攻めてばかりですが・・。さすがは全女、やはり基礎練習はみっちりしごかれて、体は十分にできているんですね。

 

また、このような発言もあります。

 

志生野アナ「私は松本選手の正式な試合を見るのは今日が初めてなんですが、一旦見たら、もう忘れられませんね、この人は」

佐藤「ええ」

志生野アナ「強烈な個性をもっております」

この発言から分かることは、これが松本香としてテレビ放送で初登場ってことですね。

また体型と気合の入れ方やボディアタックなどの巨体を生かした戦い方は、結果論にはなりますが、志生野アナもビックリしていましたから、スター性があったということでしょう。(芽が出るのに時間がかかりましたが)

 

 

佐藤「松本選手には足四の字がなかなかかからないんですよ」

志生野アナ「大きすぎて?」

佐藤「足が太くて短いんです。だからこっちのほうが痛くなっちゃうんです」

佐藤ちのさん、何気に失礼な発言な感じもしますがw、でも松本のキャラクターにあった解説をしてますよねw 手足が太くて短いから、クラッシュギャルズの関節技もあまり効かなかったのか!?

 

フィニッシュ技はラリアートです。新人の頃からラリアートだったんですね。


 

このラリアートはまだまだ未完成です。しかし1983年の後半になると、相手が一回転して吹っ飛ぶようなフィニッシュ技となります。ダンプ=ラリアートのイメージがつきます。

この時代には、スタン・ハンセンなどがラリアートで一世を風靡していましたから、そこに目を付けてた松本が素晴らしいと思います。

 

このあと、1981~1983年末まで、マニアックなファンを増やしつつも、いまひとつ弾けない時代が続きます。ビューティペア時代の華やかさを見ていた松本にとって、地方での閑散な興行には燃えるものがなかった、と書かれています。

そんな彼女がブレイクするのは1984年以降となります。