1980/3 オーディション風景 家族の反対を押し切ってプロレスラーになる!!

TimTamchannelさんのYoutubeより

全女1980年度(昭和55年度) オーディション風景

 

 

(AI FullHD動画)

AI FullHD AJW 1980年 昭和55年オーディション 1920x1080リンクyoutu.be

 

 

ダンプ松本が女子プロレスのオーディションに合格するまでの険しい道のりは、平塚雅弘著の「ザ・ヒール」に書かれていますので、そちらを読んでいただくのが良いです。

 

抱き合って喜んでいる松本。

 

一番左に本庄ゆかり(後のクレーン・ユウ)。17歳ですかね。

 

左が本庄ゆかり(クレーン)、右が松本香。

顔がういういしいです。松本は19歳ですかね。

 

なお、このときの新人紹介にはライオネス飛鳥が一番右にいます。長与千種と大森ゆかりは推薦なので、ここにはいません。

 

オーディション合格までのことを、他の本から引用してみます。

 

「長女はつらいよ」 より---------------------------------

私が女子プロレスに目覚めたのは、中学一年生のとき。きらびやかな水着姿で「花を咲かそう」を歌うマッハ文朱に、すっかりしびれちゃったんだ。

「かっこういいー、わたしもやりたい!」

そのとき、体中を電気が走ったような感じがして、カーッと熱くなるのが分かったね。自分の探していたものに出会ったという気がしたんだ。

得意な運動が活かせるし、目立ちたがりで物怖じも人見知りもしなくて、なにしろ自分にぴったりな職業だと思ったんだ。それに女子プロはお金が儲かるって聞いていたしね。

勉強が嫌いで、教科書を見ているだけで頭が痛くなってくる私は勉強に関してはからっきし根性なし。スポーツも好きだけど、それほど根性だしてやるってことはなかった。でも、女子プロだけは違ったね。がんばってやれるって思えたんだ。だから、それからは女子プロまっしぐら。

女子プロの事務所の社長宛に「入団させてくれ」っていうてがみを何十通も書いた。もちろん、これはダメだった。

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「おかあちゃん」より---------------------------

女子プロレスラーになる。それを現実にしたい。そのためには年一回のオーディションに合格するしかない。さっそくテレビを見て、オーディションの応募のハガキを出した。「書類選考合格」のオーディションの通知がきた。オーディションは日曜日にフジテレビのスタジオで行われた。

スタジオは約1万人の中から書類選考をパスしてきた、約千人の少女たちであふれていた。その中に私もいた。おかあちゃんに内緒の応募だった。最初は面接だった。

「身長と体重」、そして「どうしてきみはプロレスラーになりたいのか?」を質問された。

「ビューティペアのジャッキー佐藤さんにあこがれて・・」

そう私は言った。しかし、チョンボをした。

 

「体重」の部分で、なりたい一心の私は、つかないくていいウソまでついてしまった。その時私は勝手に体重なんか少ないほうがいいのだろうと思いこんでいた。それで隣に私よりも痩せてるひとがいたにもかかわらず、私は体重が70kgはゆうに超えているのに、「65kgです!」なんて言ってしまったのだ。隣は私よりもはるかに痩せているのに「70kgです!」なんて言っている。

勝負に負けた、と私は思った。体力テストをやるまでもなかった。私は見事に落ちた。合格したのは13人だった。その時、私が得た反省と教訓・・。

"だいたいがこんなに大勢応募者がいるんだ。体力なんて数字だけでわかるわけがない。とにかく目立たなければだめだ。与えられた短い時間に、十人の審査員に松本香という存在がはっきり焼き付かなちくゃいけないんだ。よし、二度目を受ける時は明るく、元気よく、そして思いっきり目立ってやろう!"

一年後、私にとって2度目のオーディションの時がきた。会場も同じフジテレビのスタジオだった。

いよいよ挑戦の時がやってきた。前回の私とは心構えが180度違っていた。私はもうおどおどしてはいなかった。案の定、二度目も同じパターンのオーディションだった。私は"意識してうんと明るく、元気に、ハキハキと、そして思いっきり目立ってやるんだ"と思った。

「一回目は落ちましたけど、ジャッキーさんへのあこがれが強くて、今年も応募しました。私にはこれしかありません。落ちたらもう行くところがありません」

体重にしても、私は「73kg」と本当のことを言った。

「もし受かったら、すぐには入れますか? 親に反対されても大丈夫ですか?」

「家出してでも行きます!」

私は審査員を見渡した。そして合格を確信した。審査員の一人(それも社長が)が、普通は黒ペンで書く「〇」を、その時だけは赤ペンで大きく「〇」と書いているのが目に入ったからだ。

その後、行われた体力テストは惨敗だった。太っていたので、腕立て伏せも、腹筋も、縄跳びも、ジャンプも、受け身も・・・すべて思うようにはできなかったが、明るく、元気に、一生懸命やるように心がけた。

その日のうちに私は合格した。二度目にして、ついに念願の女子プロレスラーへの切符を手に入れたのだった。

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さらにご両親への説得も相当に苦労されたエピソードがあります。

 

「おかあちゃん」より---------------------------

女子プロレスラーに合格。私はやる気で家に電話を入れた。母が出た。

「おかあちゃん、合格したよ!」

「なにが?」

「プロレスだよ」

「嘘でしょう?」

「嘘じゃないって、私本当に合格したんだよ」

母はまるで信じていない。それもそのはず、その日はエイプリルフール(4/1)だったのだ。そのあとが大変だった。

「でも反対よ。おかあちゃん、香が女子プロレスにいくのは絶対反対だからね」

母が「反対」するにも無理はなかった。私は数日前に高校を卒業、川口市のパン工場に就職が決定していた。しかも明日には家を出て、パン工場の寮に住み込んで働くことになっていた。そのために父と母の手伝いで寮にはすでに私の荷物が運び込まれていた。そんな出発間際になって、就職を取りやめて、それも「プロレスラーになりたい」などと娘が夢のようなことを言っているのである。母としてはここは反対するしかなかっただろう。その夜のうちに親戚を交えて家族会議が開かれた。

「だめだ!」

その一点張りで賛成するものは誰もいなかった。母もこのときばかりは何とか私を説得しようと努めた。

「明日から会社へ行こうってときに、前日になって「やめた」、「行かない」なんていうのは無責任だし、学校だって、工場だって迷惑するんだよ。お前も知っていると思うけど、女子プロレスの世界は想像もできないぐらい厳しい世界だとおかあちゃんは思うよ、お前の気持ちもわかるけど、ここはお願いだからおかあちゃんの言うことを聞いておくれ。仮におまえが女子プロレスの世界へ入ったとしても、おかあちゃん、お前がきっと泣いて帰ってくるような気がするよ。その時じゃ遅いんだよ。悪いことは言わないから、おかあちゃんの一生の頼みだと思ってどうか就職しておくれ・・」

 

しかし、私の決意にいささかの揺るぎはなかった。たとえ、どれほど反対されようとも、何と言われようとも私はプロレスへ行くつもりだった。私は泣いていた。

 

「おとうちゃんだって、自分の好きなことやってきたじゃない。さんざん悪いことやって、おかあちゃんにつらい思いさせてきたじゃない。だったら、私だって好きなことやらせてよ。どんなに反対しても私プロレスに行くからね。家出するからね」

 

母は黙って聞いていた。父もこのときばかりは無言だった。隣の部屋へ引き下がると、私は手紙を書いた。心のありのままをを読んでもらおう。それでもどうしても理解してもらえないときは、家を出よう。そのとき、こんな手紙を書いた。

 

「おとうちゃん、おかあちゃんへ。私どうしてもプロレスラーになりたいの。

わかってください。

おとうちゃんとおかあちゃんが心配する気持ち分かるよ。

でも受かったんだ。千人もの中からたったの十人。夢が叶ったんだよ。

やりたいことやらしてよ。今やらなかったら、私一生後悔すると思うんだ。

おとうちゃんだって、若い時、やりたいことやってきたじゃない。

だったら私の気持ちも分かってほしいんだ。

プロレスは長いことやってられない。年とるとやめなくちゃいけないんだ。だから、私は働けるときに働いて、一生懸命親孝行してあげる。

約束するよ。

だからお願い。

私頭悪いでしょう。バカじゃん。

だけど、私にだって親孝行できるよ。プロレスやれば親孝行できるよ。

やるだけやらしてよ。せっかくプロラスラーのオーディション受かったのにいけないなんて。プロレスあきらめて、パン工場で働くなんてつらいよ。このままじゃあ、パン工場に行ったって、楽しく働けない。毎日、きっと私泣いちゃうよ。

お金のことは平気だよ。バイトしてでもがんばるからさ。

好きなことだもの、苦労してでも耐えていけるよ。

プロレス強くなるよ。チャンピオンになれるようにがんばるよ。

だからやらして。私が真剣だってことわかってください。私のこと本当に考えてくれるならやらして。

やらしてくれたこと、私絶対に忘れないから。

おかあちゃんわかるでしょう? おとうちゃんにもわかるでしょう? 

私の立場になって考えてほしいんだ。お願いします。親孝行します。

私、おかあちゃんやおとうちゃんに、将来おこづかいをたくさんあげられるようがんばります。

私、おとうちゃんとおかあちゃんのこともちゃんと考えているんだ。

だからおねがいします。ゆるしてください。

おかあちゃん、いつも心配ばかりかけてごめんね。

おとうちゃん、わたし本当に本当にやりたいの。

一生のお願いです。プロレスやらしてください。お願いします・・」

 

「いいよ」

翌朝、父は言った。父は夜中に私の手紙を何度も読んでいたという。「しようがない、そこまでお前が考えてるんだ。お前の決意がかたいんなら、もうおとうちゃんもおかあちゃんも反対はしない。香、やるだけやってみろ」

母もうなずいていた。

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このあと、プロテストに2回(3回?)落ちた後、ようやくデビューします。