
1980/8/26の「週刊ファイト」に「飛び出せ!ヤングホープ」として松本香のフレッシュ紹介記事がありましたので引用します。
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飛び出せ! ヤング女子プロホープ
松本 香
ユーモラスな巨体で第2のジ ャンボ宮本的な人気を集めてい るのが、Bグループ所属の松本香だ。164cm、85キロと、まあるくった太った体は宮本とよく似ている が、宮本の典型的なベビーフェイスに比べ松本は荒々しく、観客から"女ブッチャー"と声が掛かるほどだ。
近年の全日本女子プロレスは、どちらかというとルックス重視のいわゆるかっこいい女の子を採用する感があった。その中で松本は二度三度とオーディションを受けてきたが、結果は不合格。今年3 月15日、川崎市体育館でのプロテストで合格した上位四名とは、ほど遠い点数だった。レスラーとしての基礎となるブリッジ、腕立て伏せ、腹筋といった基本が劣って いたのである。プロテストは一回と決められていたので、今年20歳になる松本は、泣く泣くレスラーを断念したのだった。
しかしその後、松本は全日本女子プロレス営業部に入社したので ある。どんな仕事でもいいから女子プロレスで働きたいという一心 からだった。営業部では、主に宣伝カーを運転して各地を回った。 当時のことを高橋営業本部長は 「女の子に営業の仕事はできな い、と最初はあてにしてませんでしたけど、運転は案外うまいし、 一生懸命やるのでみんなに可愛いがられましたね。一度、松江で車が故障したことがありました。当燃修理代も持っていないし、彼女には大変なことだったと思いま す。スタッフの苦労も体験しているし、レスラーとして大成することを望んでいますよ」と語っていた。
そして、宣伝カー所属となった 松本に、またとないチャンスが舞い込んだのであった。5月10日、 大宮大会で、再びプロテストを受ける権利が与えられたのである。 その時は五人が受けて、全員合格した。念願のレスラー松本香の誕生である。
選手一行が九州、沖縄と巡業す る間、松本ら五人の新人は連日道場で松永社長の猛特訓を受けた。 そこで松本は、ウェイト・トレ ニングを中心にした練習で腰を痛 めてしまったのである。寝たまま立てない日もあった。医師は「骨がずれている。二週間の安静が必要」との診断を下したが"夢にま で見たデビュー戦"を目前にしていたので、痛みをこらえて起きあ がる日々が続いた。
伊豆の合宿では、マラソンが苦手で、松本はいつも一番最後を走っていたが、最後まで必ず完走していた。
そして、A、Bグループの分断興行になってから、 松本は序々に個性を生かすファイトをしてきた。恥ずかしさを知らないブルフィイトに人気が出てきたのであ る。ベビーフェイスの師玉美代子が相手の時は、憎悪 ・むき出しのメチャ クチャな大暴れをする。松永社長はモンスターをはじめ、この手のタイプのレスラー を育てるのがうまい。
昭和35年11月11日生まれ、埼玉県熊谷市出身。大宮開成高校時代 は、アーチェリーで全国大会にも 出場している。趣味は寝ること。 中村雅俊の歌が好きだという。"ブーデー"の愛称で親しまれている松本は、川上法子(元女子プロ事 ・務員)に続いてのスタッフ選手第2号として、周囲の期待も大きい。
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色々と面白いことが書かれています。
松本は初期は「アウ」ではなくて「ブーデー」というなんとも安直なあだ名で呼ばれていたという衝撃の事実です。週刊ファイトが勝手に命名したのかもしれませんが、お客様の中では「ブーデー」だったのかもしれません。「ダンプ松本」ではなく「ブーデー松本」というリングネームだったら、売れなかったでしょうねw 「デーブ大久保」みたいです。
また観客からは「女ブッチャー」と言われていたようです。ジャンボ宮本と同様、「女金時」はよく言われていましたが、「女ブッチャー」と言われていたのは初めて聞きました。またまた衝撃の事実です。
松本は8/8の田園コロシアムでデビューしましたが、その前にすでに練習で腰を痛めていたようです。イジメによって腰を痛めた可能性もあります。なにしろ意地悪な先輩がいましたからね。
トイレで用もたせない松本の世話をしてあげたのが、ジャガー横田だったと書かれている本もあります。ジャガー、このころは優しいじゃん(笑)
同期相手になると自由奔放に戦っていたようです。長与千種、師玉美代子あたり相手だと燃えたのかもしれませんね。