
(2022/11/11 綺麗な映像があったため差し替え、それに伴い文章を追加)
AJWW 1982/1/27 高崎市体育館 松本香vsジュディマーチン 外人へのトラウマ
(左から山崎五紀、マスクドユウ、ワイルド香月、デビル雅美、松本香、小松原浩美だと思います)
マミ熊野の引退に伴いブラックデビルズを引き継いだデビル雅美は、1981年の末くらいにデビル軍団と名称を変えたと思わます。デビル軍団については、調べても、いつどこで名称が正式に決まったのか不明です。(女子プロレス40年史に「1981/10/20のマミ熊野引退に伴い、デビル軍団結成の動き」としか書かれていない)
さて、松本香(ダンプ)は、そのデビル軍団に加入してヒールとしての道を進むことになったようですが、問題はどうしてヒールになったのか、なのです。
ダンプ松本著の「ザ・ヒール」などを読むと、彼女は最初からヒール志望であったということが書かれています。会社はジャンボ宮本のようなぽっちゃりとしたベビーフェイスにしたいと考えていたらしいのですが、ダンプは自分の容姿ではムリ!! ということで最初からヒールを志望したらしいです。
しかしながら、「女子プロレスララバイ」の取材でもうひとつ、ヒールになった理由が書かれています。
「会社から『ベビーかヒールかどちらでも好きな方を選べ』と言われたとき、自分からヒールを買って出たのである。他人の嫌がることをすすんでやる犠牲的精神があったわけではない。彼女は外人レスラーが怖ったのだ。ベビーフェイスなら外人選手と対戦は避けられない。それまで身近かに外人を見たことがなかった彼女は、ただただ外人の大女がオソロシカッタという。外人が怖かったからヒールになったというのもおかしいが、そのあたりにダンプ松本のチャーミングな一面が伺える」
え、ダンプが外人を恐れる!? そんなバカな。だって新人とはいえ、あの強心臓のダンプ松本様だぞ! 極悪時代は外人を従えていたではないか!!
家に石を投げられても耐えられるダンプが、精神的に弱いはずがない! と思うのですが、それをマザマザと見せつける当時の恐ろしい映像がYoutubeにあったので検証してみます。
VHS Pro-WrestlingさんのYoutubeから。
フジテレビ杯争奪WWWAシングル選手権挑戦者決定トーナメント1回戦
(↓AIでフルハイビジョンに変換した動画です)
1982年1月27日の試合だと思われます。だいたいデビューして1年半くらいでしょうか。
志生野アナ「85kgと言われております、松本香選手がいま紹介されました」
志生野さん、「かおり」ではなく「かおる」です。
ちなみにマントの背中はドクロマークですw
このころは髪形を少し変えて、両脇はカーリーヘアっぽくしているように見えます。目にも若干シャドウ入れていますかね? 画像が悪いのでよく分かりません。
志生野アナ「この松本香選手がいま全日本女子プロレスの中で一番重いんじゃないでしょうか」
志生野アナ「85kgですから」
志生野アナ「まだ新人なんですけど」
ゲスト「体は大きいから技のほうがどうか、興味がありますね」
さて、これから松本を恐怖に陥れる張本人、ジュディ・マーチンです。
ジュディ・マーチンは毎年のように来日しているかなりの有名選手です。実力的にはオールパシフィックを争ったりする実力者(この当時は)でした。なにしろガイジンさんなので体は大きいし、小兵の日本人にはなかなか歯が立たなかった部分もあるでしょう。
その後も来日して、自分がテレビ放送で見始めたころは、すでに極悪の外人枠に組み込まれていた記憶があります。確かに、ヒールレスラーとして極悪チームに入っていたので、その頃はもう松本とは対戦せずには済んだわけです。
女子プロレスララバイには、「ベビーにいくかヒールに行くかと会社に尋ねられたのが1年後」と書かれているので、そうするとこの試合は時系列的には、松本はこの試合のときは、すでに悪役、ブラックデビルズの一員になっています。
でも松本はヒールを選んだのに、結局は外人サンと当たってしまったのですね・・。
ちなみに松本が恐怖を感じた外人レスラーとして最も有力なのは、ビューティペア時代に来日したモンスター・リッパーだと思います。体重が120kgを超える大女で、日本人選手が全員吹っ飛ばされていました。モンスターには誰も手が出せない、というくらいの恐ろしさがありましたので、松本が怖がるのも無理もない感じもします。
しかし、この試合でも十分にガイジンさんの怖さが伝わるので、とりあえず、嫌な外人さんはジュディー・マーチンとして話を進めます(すみません、他に資料がなにもないので)。
当時、全女では一番体重が重い(85kg)松本ですが、ジュディ・マーチンはおそらく同じくらいの体重でしかも上背があります。ちなみにジュディ・マーチンはアメリカNWAの代表選手であり、実力は相当のものです。また、セコンドにいるシェリー・マーテルもかなりくせ者です。
松本としては自分よりも体重がある選手と戦うのは、日本人の中ではいないのですから、苦手とするのかもしれません。
さて、試合開始です。
ゴングが鳴ると同時にジュディ・マーチンが松本に奇襲。
松本「コォンノヤロゥー!!」
松本が雄たけびをあげて、奇襲するジュディ・マーチンに逆襲。
志生野アナ「どうも日本の選手は先制攻撃を受けるようであります」
志生野アナ「女金時がんばれ、という声援も、あーっと」
志生野アナ「なにかリングの外へ蹴りだしましたですね」
ゲスト「最近の松本のパワーはみるところがありますよ」
志生野アナ「そうですね、たいしたもんです」
(まだ見様見真似のラリアートですが、すでに新人時代から実践で使っています)
しかし、1分も立たないうちに、顔面への目つぶし等のラフファイトで、松本はコーナーに追い詰められ、手も足も出なくなります。
(松本の嫌がる顔面攻撃を連発!!)
(地味な蹴りだが、下腹部を直撃。見た目以上にダメージが入る蹴りに松本は大ピンチ)
(苦しそう・・・)
最初の「コノヤロウ」こそ、気合が入っていたものの、防戦一方の松本。
志生野アナ「日本人も反則はするにはするんですけど、国民性というんでしょうか、徹底的にできないんですね」
志生野アナ「外人選手はもうありとあらゆる手段で、許せる範囲内なら徹底的にやるという、そういったところがあります」
なんとか場外へエスケープした松本ですが、そこに待ち構えているのがセコンドのシェリー・マーテルです。松本は羽交い絞めにされてなすすべもありません。
近くにはマスクド・ユウやデビルもいますが、なぜかこのときは助けず・・。なぜ!?(^^;
(松本はなんとか反撃開始。ジュディ・マーチンを観客席に叩き込みます)
シェリー・マーテル「What's got away!」
シェリー・マーテル「Get out!!」
なんて言ってるのかよく分かりませんが、あれこれ文句を言っているようです。
松本を見ていると、和製のモンスターリッパーを目指している感じもしなくもないです。髪形も、黒い水着も、風貌はなんとなく似ています。腰高で生まれつきのパワーがあれば目指せなくもないですが、アメリカ人とは体が違いますからね。
松本「上がってこい!! コラァ!!」
なかなかリング上に上がってこないジュディ・マーチン。それもそのはず、彼女はちゃっかり痛いフリをして回復を計っていたのでした。右からシェリー・マーテルが松本の背後に回っています。
松本、後ろ後ろ!!!
(案の定、シェリー・マーテルに捕まってしまいました)
その後リングに上がった後も、ジュディ・マーチンは、得意の顔面攻撃を続けて松本を寄せ付けません。この苦しそうな松本の顔、会場は和製、女金時・松本を応援していますが、なかなか反撃に出られない状態です。
志生野アナ「松本香選手のスタミナはどうなんですかね」
解説「そうですね、意外と頑張りますね。もう少し体がしまってきて、この体重を維持できるようになってきたら、申し分ないでしょうけどね」
志生野アナ「なるほど。」
ゲスト「概して、このタイプはスタミナ的に難しいですね」
志生野アナ「とにかく松本香選手がまだ練習生の時代だったでしょうか、あるいはプロのライセンスを取った直後だったでしょうか。」
志生野アナ「マラソン大会がありましてねぇ、とにかく相当他の選手に遅れたんですけども、完走してね、ゴールに入ってきたということがありました」
志生野アナ「頑張り屋です、なかなか頑張り屋です」
志生野さんも松本の肩を持ってくれていますね。
志生野アナ「この体ではちょっと無理かと思われていましたが、堂々とこうしてジュディ・マーチンと試合ができるように大きな成長をみせました。松本香選手であります」
志生野アナ「これまた今年大きな成長を期待されている選手の一人であります」
一方的にやられる松本でしたが、ジュディ・マーチンが抱え上げようとしたときに、抱えきれずに、ここからようやく反撃を開始します。
(得意のボディアタック)
志生野アナ「物凄い迫力、女・金時であります」
女・金時といえば、ジャンボ宮本がそう言われていましたが、志生野さんも松本に関しては、ジャンボ宮本の路線だったんでしょうかね。
でも、女・金時ってなんか可愛い感じがする!!(^^;
と思うのは自分だけでしょうか・・。
ジュディ・マーチンをもう一歩のところまで追い詰めますが、またもや腹キックに顔面攻撃!!
今度は松本のヒザを攻めに行きます。しかも松本の弱点である右足です。この右足、実は松本は入団前から爆弾を抱えており、攻められたくない箇所のひとつです。
松本は見ていて可哀そうになるくらいに四隅のコーナーに逃げ回り、グロッキー状態。さらにシェリー・マーテルの2人がかりでヒザまでガンガン攻められて、戦意喪失。
(ここまで痛さでのたうち回る松本も珍しい)
フィニッシュは地獄のような四の字固め。完全にギブアップです。
志生野アナ「ああーっと、ギブアップのようであります。いや、これはあっけなかった」
志生野アナ「松本香選手、足四の字にやられました」
なぜ、こんなに右足の四の字固めでのたうち回っていたのか、これは理由があります。
ダンプが選手時代に隠していた古傷だと思います。
昔のダンプの映像はちょこちょこみていますが、こんなに無残にやられた試合はちょっと見当たりません。ユウが助けても良かったと思いますが、まだブラッグデビル軍団では勝手に助っ人に入れなかったのかもしれません。
この試合は、ジュディ・マーチンが、かなり露骨な反則攻撃を繰り出したといえます。もう少し試合になるようにコントロールができるのがアメリカの選手だと思っていましたが、予想を上回るガチケンカレスリングに少々見ていて引いてしまいます。外人ってのは、言葉は通じないし、プロレスのスタイルも違います。まして、ジュディ・マーチンとしても、来日していかにアピールするかNWAの看板も背負ってきているわけだし、ラフファイトでも目立とうとするのは分かりますが、ちょっと地味ですね。
松本の右足の爆弾について
「おかあちゃん」より-----------------------------
それはまさに奇跡だった。五歳のとき、事故にあい、すんでのとこで私は救われた。私を救ってくれたのは一台の自転車だった。あの日、もし私が自転車の荷台に乗っていなければ、まちがいなく現在の自分はいないだろう。
私たちは親戚の家に行く途中だった。あの日、母は一歳の妹を背中に背負って、自転車を押しながら道を歩いていた。自転車の荷台で、私はムシャムシャとジャムパンを食べていた。
信号の前方に、一台のダンプカーが止まっているのが見えた。"信号で止まっているから大丈夫だろう"と思い、そのまま母はダンプの左端を回り込むようにして通り過ぎようとした。事件はその時起きた。
停車しているとばかり思っていたダンプが、突然バックを始めたのである。すでにダンプの死角に私たちは入っていた。それが運転手には見えなかった。「あ、ダンプだ!」そう思った瞬間、ダンフは自転車を押し倒していた。妹をおんぶしたまま母は車道にころがった。ダンプはそのまま自転車の上に乗り上げていた。ダンプの車輪が私の下半身を乗り越えてゆく、
"ああ、足が、足が、香の足が・・・"
母の悲鳴に運転手は気づいた。大急ぎでブレーキを踏んだが、すでに自転車はペチャンコになっていた。
・・・神様に私は救われたのだ。
奇跡といおうか、自転車のおかげでわたしは助かった。自転車の荷台の隙間に入っていたおかげで、私は幸運にも一命をとりとめた。母は私を助けようとしたが、どうしても助け出せなかった。やがて救急車がきて、私は救出された。
"ああ、この子はこのまま死んじゃうんじゃないか・・・"
病院に着くまで母は生きた心地がしなかったという。病院に運ばれた瞬間、私は堰を切ったように泣きだした。
入院して一週間・・・「もう歩けるはずですよ」とお医者さんは言った。だが、どうしたわけか、私は歩けなかった。歩こうとしても、すぐにヘナヘナと座り込んでしまう。
「おかしいな、本当は歩けるはずなのに歩けないなんてなぁ。もしかしたら、このまま一生歩けないかも・・」 お医者さんも不安に言った。「香ちゃん、かわいそう・・・」
誰かがそうつぶやいたとき、突然わたしはベッドから起き上がった。そして歩き出した。驚きとうれしさで、私を抱きしめてオンオン泣いた。
ダンプの後遺症が、その後もわたしを苦しめる。ダンプらひかれた右足の痛みが、いつまでたっても癒えないのだ。私は関節炎を患っていた。小学校時代、そのために私はずっと病院通いをしなければならなかった。熊谷駅の近くにある病院、そこへ私は一人で治療にいった。しかしそれもあまり効果があるとは思えず、右足の痛みはなかなか完治しなかった。
小学校高学年になると、どういうわけか急にわたしは太り始めた。加えて足の痛みは慢性化し、そのため体育の時間は、わたしはほとんど見学に回らなければならなかった。
おかあちゃんは駆け足が速かった。妹も速かった。私も当然ながら足が速かった。いつも運動会のかけっこやリレーの選手だった。それがダンプの事故以来、バッタリととだえた。悔しいことに、事故が起きて太り始めてからは駆け足はいつもビリだった。
足がいつも重い感じがして、わたしは足をかばうようにして歩いた。だからといって、私は外で男の子たちと遊ぶのを止めたり、いたずらをしなくなるようなタイプではなかった。
足が痛くても、お菓子は食べたかった。
中学に入るとき、お医者さんから厳しい忠告された。「もしクラブでも入って厳しい運動なんかしてごらん。きみの足は本当につぶれてしまうよ。生涯使い物にならないかもしれない。自分の足を大事にしろよ」
しかし、私はクラブに入るために中学校に行ったようなものだった。クラブに入る夢をどうしても断念できなかった。中学に入ると同時に私は一方的に病院通いを中断してしまった。そして希望通り水泳部とアーチェリー部に籍を置いた。
「足はもう治ったから大丈夫だよ。病院にいかなくてもいいんだよ」
おかあちゃんには嘘をついていた。だからその後、どんなに足が痛くても、私は足が痛いなどとは言えなかった。
そうしないと、女子プロレスへの入団はおろか、女子プロレスラーをやることなど到底できなかっただろう。
「ダンプ松本には右足に爆弾(慢性関節炎)がある!」
なんて知られた日には即刻、選手生命は立たれていただろう。
もっとも女子プロレスでは誰もがそんな「爆弾」の一つや二つは抱えていた。女子プロレスラーたちにとって、試合前の念入りなテーピングは、リングに上がる前の自分の傷をいたわる重要な儀式のようなものだった。
ただ、選手たちの大部分がかかえる傷は、女子プロレスに入団してからのものであり、私のように当初から関節炎というやっかいな「爆弾」を抱えて入団してくるものなどいなかった。この生き馬の目をぬく女子プロレス界で、そんな爆弾を抱えてはやっていけないのが現実だった。しかし、私は何としても辞めるわけにはいかなかった。
右足をかばい、かばいのプロレス人生だった。
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●ジュディマーチンについて
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ジュディ・マーチン 175cm 70kg
美人コンテストの常連
1956年サウスカロライナ生れ。高校時代からスポーツ万能選手としてスター的存在 だった。高校卒業と同時にコロンビア・レス リング学校に入学、卒業と同時にファビュラ ス・ムーラの門を叩き、女子プロレスに身を 投じた。
すばらしいプロポーションのブロンド美人 で、ミス・サンファン、ミス・サーファー、 ローラー・ダービー・クイーンなどの美人コン テストにも優勝している。
NWAではムーラの後継者といわれ、前イ ンターナショナル・ガールズ・タックチャンピオン。 ニューヨークのマジソン・スクエア ガーデンなど大舞台での試合を何度となく経 験しており、アメリカ東部の実力者。
「日本はしばらくぶりだが、選手の顔ぶれ も以前とは大分変ったと聞いている。日本の ケンカ殺法に負けないアメリカ殺法を見せてやるさ。別にマークする選手などいないよ」 と大変な鼻息。
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