
AJWW 1982/5/15 大宮スケートセンター 全日本王座 マスクド・ユウvsライオネス飛鳥
デビル夫人 女子プロレスさんのYoutubeより
(予備用です。)
今回は極悪のもう一人の華、クレーン・ユウについて軽く触れてみたいと思います。
1980年(華の55年組み)の新人王はライオネス飛鳥が受賞しました。
その後、ライオネス飛鳥はデビル雅美が返上して空席となった全日本シングル王座を狙って、マスクド・ユウと2回に渡り全日本王座を戦います。
まずはこの試合、1982年5月15日にライオネス飛鳥vsマスクド・ユウで、1回目はドローとなります。
2回目の1982年7月19日大田区体育館でついに3代目のチャンピオンとなります。
ライオネス飛鳥は、大森ゆかりと並んで、55年組の出生頭です。今回のYoutubeはその1回目のドローとなった1982/5/15 大宮スケートセンターの試合を見ていきます。
ちなみに1982年からリングネームを「北村智子」から「ライオネス飛鳥」に変更しています。
「ライオネス」というのは、「ライオン」という意味のようです。
一方の「本庄ゆかり」も1982年に「マスクド・ユウ」にリングネームが変更しています。
リングネームをもらうということは期待されているという証です。ただ、当時の全女のポスターをみると、「マスクドユウ」と「本庄ゆかり」は同じ人間なのに、なぜか2人の人格として掲載されています。1人2役でやっていたんでしょうかね。
謎のマスクマンみたいな感じ、外国人枠に入れていた節もあります。
ちなみにこのころに松本は髪にメッシュに入れるなどして、ちょっとイメチェンを図っています。
(デビュー当時のユウ(右端)、その隣が松本、その2つ左が飛鳥)
松本とマスクド・ユウは、B班落ちこぼれで有名ですが、ともに1979年のオーディションに合格。しかし、数か月後のプロテストに不合格となり、1年を練習生として過ごします。デビュー前はユウは宣伝カーが放送する声を録音して(松本が宣伝カーの運転)、1980年のプロテストに再度合格までは心労を共にしています。真夏の炎天下で練習をしていたら、熱中症(当時はこんな言葉はない)で倒れて、いつのまにかエアコンが効いている部屋で寝ているなんてしょっちゅうだったらしい。こんなこともあって、松本とユウは練習が怖くなり、ナンシーやデビルから「練習嫌いでダメなやつ」と烙印を押される始末です。
1980年のおこぼれでプロテストに合格した後(鉄アレイを100回あげれば合格という強引なもの)、1981年終盤からデビル軍団にマスクド・ユウ(本庄ゆかりからリングネームが変更)として転身し、軍団No.3に昇格。デビル雅美からは、松本香よりも実力的には1つ上としてみなされていた感じがします。その証拠に全日本王座には、松本よりも先に2回も挑戦権が与えられていますし、軍団の順位も松本よりも上に書かれています。しかし、そんなユウも最初は悪役に徹するのは厳しかったようです。
「吉田豪の最狂全女伝説」のクレーン・ユウへのインタビューの一部を抜粋すると、
「『お前は人の良さが試合に出るから覆面を被れ』って言われてマスクドユウになったんだけど、顔が出てるからヒールなことができないんじゃなくて、元々の性格だからなんですね。相手に『痛いっ』って言われると『あ、ごめん』って言いたくなって。先輩だったら『すみませんでした!』ってなっちゃう。そうすると『何怯んじゃってるの? そんなんダメじゃん!』となって、私とダンプは本当にダメなヤツだった。『お前ら二人はホントにダメだ!』ってずっと言われてて。
地方に行くと、おばあちゃんがおにぎり持って観戦にくるんですよ。ウチらが試合が終わってリング片付けをしていると、そのおばあちゃんの迎えがまた来ない。そういうのを私とダンプでしゃべってて『あのおばあちゃん帰れなかったらどうする?』『迎えに来るよね?』ってふたりで泣いて。それをまた先輩に見つかって『お前ら何泣いてんの?バカじゃないの?』と怒られて。」
こんな感じでユウは基本優しいのだが、ベビーフェイスを輝かせるために仕事と割り切って、ようやくヒールとして開花しつつありました。一方の松本はヒールの中にいるだけの、憎めないマスコットゆるキャラみたいな感じで、それは松本にずんぐりした体とえくぼのある顔から、どことなく愛嬌があって面白く映る体型が原因と思われます。(松本は演出するとなぜか面白い感じになり、ヒールとして中途半端になってしまう)
1982年あたりになると、松本とユウの間に少しずつ差が付き始めます。
まず抜け出したのが、マスクド・ユウ。デビル雅美のパートナーに何度か選ばれて試合をしています。またメイン6人タッグにも出場し、毎回前座の松本とは違い、ヒールとしてはタランチェラの次に期待をされていました。
会社でもデビル雅美の次のヒール役は、175cmの長身で100kgもある大型新人であるマスクド・ユウに期待がされていました。
しかしながら、ここぞというときのアピールがいまひとつで、デビル雅美のパートナーはタランチェラに奪われてしまい、再び松本と同様に軍団No.3に甘んじてしまいます。それでも松本よりは期待が高かったと思います。
本庄ゆかりもワイルド香月も、どちらもマスクマンとなって表情を隠してヒールに徹します。松本だけにマスクを被らせなかった理由は定かではないのだが、全女の方針は行き当たりばったりなのでなんともいえません。ただ、なんとなくですが、松本はわざと「ゆるキャラ」として、会社は中途半端な存在のまま、どうなるのかを見ていた感じがしなくもないです。
マスクド・ユウは、ぶるちゃんねるに出演したときに、こんなことも話している。
「飛鳥と全日本王者を何回もやったの。テレビ撮りでね。今思えば、そのときは会社から持ち上げれたときなのかなって。でもピストル(ガチ)で一回も勝ててない。タイトルのピストルは本当に嫌でやりたくなかった。ピストルで勝てていればもうちょっとやる気になったかもしれないけど、ピストルが凄い汚い試合になっちゃうから。ゴングとともに20分から25分までピストルってのが嫌で。そのあと飛鳥が千種とタッグに集中したいのでタイトルを返上して、それだったら私にくれてもいいじゃんって思った」
そうです。全女特有のピストルってのがあります。そのピストル(ガチ)がこの動画で見られます。
マントを脱いだ瞬間に、猛ダッシュで飛鳥に襲い掛かるユウ。あまりに全力疾走しているのが、今見ると微笑ましく感じます。
ゴング前にマスクドユウがいきなり勝負をしかけます。お決まりの場外のイスを飛鳥を投げ飛ばします。ヒールとしてやる時はやるのがユウの特徴です。ユウは仕事として割り切ると、ダンプよりもやりますね。
試合中盤から栓抜きと思われる凶器を胸に背中に閉まって、飛鳥をジリジリと追い詰めます。
いつも思うんですが、凶器を入れる胸や背中って、なにかポケットが縫い付けてあるんですかね。ドラえもんみたいな四次元になっているわけじゃないので、途中でポロッと落ちたりしそうなんですが(実際にユウは何度も落としていたみたいですが・・・)
この試合、マスクドユウはあまり期待されていなかったようなのですが、非常に粘ります。飛鳥の数度のバックドロップも返していますし、やはり全女で相当量の練習はこなしているのでしょうから、体力も凄いありますし、受け身も上手いです。当初飛鳥があっさりとフォールを取ると思われましたが、凄い粘りを見せます。これは解説者の志生野さんもビックリしています。
動画の12:00くらい、「残り時間xx」というアナウンスからピストルが始まっていると思われます。全女のピストルは、抑え込みルールで、仰向けの状態になったら動かず、そこから相手がフォールしてから3秒以内に脱出しなければならない、脱出したら攻守交替というルールであると書かれていたので、とにかくユウは仰向けにならないようにしています(ライオネス飛鳥も)。そんな意識的な場面が何度も続くので、これは分かりやすいと思います。
↓ギリギリでフォールを返す
↓ブレーンバスターをされても、すぐにうつ伏せになって仰向けにならないww
志生野アナ「(仰向けになるので)これではフォールできない!」
志生野アナ「マスクドユウ選手の素晴らしい根性であります」
志生野アナ「さすがにライオネス飛鳥もせめあぐねてますね」
志生野アナ「マスクドユウ選手はここまで気力を持っているとは思いませんでした」
志生野アナはピストルを知っていての実況なんですかね。
こうしてこの試合はドロー、次の大田区体育館では、ライオネス飛鳥が辛くも勝利してタイトルを奪取しました。
この試合をみると、運動神経抜群のライオネス飛鳥に対し、ユウは一歩も引けを取っていません。意外と言っては失礼ですが、マスクド・ユウも運動神経は非常に良かったんじゃないかともいます。1982年の時点では、ユウのほうがダンプよりも実力者ですね・・。
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なお、クレーン・ユウさんの過去話については、ぶるちゃんねるで対談されていますので、こちらを見れば一発で分かると思います。