
AJWW 1983/1/4 後楽園ホール ナンシーの引退、長与vs飛鳥でクラッシュ人気へ
Wrestling TvさんのYoutubeから
クラッシュ(長与千種とライオネス飛鳥の試合のみ切り抜き)
初めに入場シーンがあります。
長与vs飛鳥の全日本選手権試合は15:00~くらいから。
ちなみに、1983年のマラソン大会はテレビでは放送されていなかったのでしょうか。是非正月恒例のマラソンと餅つき大会の動画があれば見てみたいです。
1983/1月はダンプにとって周りがどんどん変化した年だったようです。
まず、「ダイナミックジャガー」と「デビル軍団」に別れての入場です。
入場順で選手の番付が決まっていると思うのですが、1983年時点では、
[ベビーフェイス]
ジャガー横田、ミミ萩原、ジャンボ堀、大森ゆかり、ライオネス飛鳥、長与千種、立野記代
[ヒール]
デビル雅美、外国人、タランチェラ、マスクドユウ、松本香、山崎五紀、小松原浩美となっています。
1983年のお正月の時点で、55年組みがすでに上の世代を脅かす状況なんですね。デビル軍団は、半分はほぼ55年組みですし。その中でも、タランチェラ(ワイルド香月)、マスクドユウ、松本香の順番になっており、この時点ではタランチェラがデビルの正規パートナーです。プロレスの内容を見ても、タランチェラの動き、テクニックは、ユウ・松本を遥かに凌いでいますので当然の結果のように見えます。まだまだ松本はくすぶり続けます。タランチェラは、極悪同盟が結成される前の1984年で引退してしまうのですが、逸材だったと思います。
ファイトスペシャル9月号より
このタスキもツッコミどころ満載なのですが、「松本香」のはずが「松本ゆかり」と書いています。「本庄ゆかり」と間違えたんでしょうか。事務所からえらくひどい扱いを受けています。書き直せばいいのに・・。どこまでも不遇なダンプさんです。
まずはナンシー久美から。
1983/1/4でナンシー久美が引退しています。
ナンシーといえば、なんといっても、「ダンプ・ザ・ヒール」のマンガで、亀の甲羅を背負わせたり、100発投げやら、ロープで両腕を縛って練習させたりという場面が印象的な、イジメ役のお姉さんなわけです。
ただ、いまはダンプとナンシーは仲が良い(悪くはない?)様子が見えますし、少し前はダンプの試合にナンシーが遊びに行ったりしているみたいです。
「吉田豪の最狂全女伝説インタビュー集」の中で、この「イジメ」に関しては双方の見解が出ています。まず、クレーンユウが語っていますが、「人生ゲームのお金で靴下買ってこいと言われたのは、マミ熊野さん」と言っています。ダンプの本では「マミ熊野さんは優しかった」と話しているので、誰が誰をイジメていたかは、人によって違うみたいです。
また、クレーンは続けて、「新人の頃はナンシーさんを殺してやろうと思ったが、B班に配属されてから、ナンシーさんとルーシー加山さんに、私とダンプが誘われて、ダンプが飲めないから私が代わりに飲んであげた」と話しています。だから、初期はシゴキがあったのでしょうが、B班になってしばらくしてからは、クレーンはそこそこうまくやっていたんじゃないかと思います。
また、同書にはナンシー久美のインタビューもあるのですが、「B班のときに松本とクレーンが配属されたが、新人の子ではまだ全然使えなかった。なぜだかB班は落ちこぼれ、使えない子が配属されてしまった。メインは赤コーナーで自分やルーシーがいるけど、青コーナーが松本とユウじゃ話にならない。それで松本とユウを鍛えるしかなかったんだけど、2人は練習をしない。「お前何やってんだ」というと、「すみません、サポーター買いに行ってました」とかそんなのの繰り返しで、ルーシーと二人で飽きれる始末。だからえらく怒るんだけど、それをイジメと取られても・・。そもそも自分が同じ立場だったらそりゃ練習を強要するでしょう。イジメるというか、本当に嫌いだったら練習の相手なんかしないし、こっちは自分の生活がかかっているんだから、そんな中学生みたいに「私たちはイジメられた」なんて言われても、反論するのもバカバカしい」と話しています。
この本、さらに大森ゆかりの話では「ナンシー久美さんも練習が嫌いだった」と書かれていて、ちょっと面白いのですが、結局練習嫌いな人達が、B班に厄介者として集められたのでは? という感じがします。
イジメに関しては当事者しか分からないし、その当事者がどう捉えるのかのによっても変わってきますので、もうこれは平行線を辿ると思われます。そして、ある人には「良い先輩」であっても、ある人には「イジメられた先輩」であるわけです。10代後半の女性の集まりですから、こんなのは日常茶飯事だったのかもしれません。だから、自分はナンシーやルーシーが一方的にイジメた、という風には解釈できません。
ただ、亀の甲羅の件は、もしこれを本当にやったらイジメです。断言できます。イジメです。これをやらせたナンシーにもし言い訳があるとしたら聞きたいです。「松本がドン臭くて、やる気がないから」なんて言われても、亀の甲羅と関係ありません。
相当に前向きに解釈しましょう。
松本がキャラクター的にいじりやすかった、もっと前向きに解釈すると、ナンシーもルーシーも、松本からスター性の陽のオーラが出ていて(つまり目立つ子)、目が素通りできなかった、だから自分の将来のために潰したという解釈ならばまだ納得できます(本当に凄い前向きな解釈ですが・・)。
次に長与千種とライオネス飛鳥。
動画の15:00~くらいから始まる、長与千種とライオネス飛鳥の試合ですね。
この試合がおそらく「ダンプ・ザ・ヒール」の第2巻にある、長与千種が引退をかけてライオネス飛鳥と戦ったという試合なのではないか、と思います。
志生野アナ「ああっと早くもパンチ攻撃がでました、何かこれは新しいですね」
志生野アナ「お互いに闘志むき出しの対戦になりました!!」
この試合について、当時の長与千種のインタビューがあります。
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デラックスプロレス 1986.4月号
1/4にライオネス飛鳥と全日本のベルトを賭けたタイトル戦をやると分かったとき、千種は即座にこの試合を最後のものにしようと決めた。もう終わりにしよう。イヌのションベンだの、空手もどきだの、先輩に言われるのはたくさんだ。最後の試合がライオネス飛鳥であることの感慨も湧かなかった。第一、飛鳥とはロクにしゃべったことがないのだ。無縁の人なのだ。
「飛鳥は太陽、カゲリのない人。そう信じていたよ、心から。あの人はプロレスに対する不満やらないでしょ、と思っていた」。トンちゃんは太陽、あたしはどん底の人間。縁を作ろうと言ったって無理な話と思った。だからなおさら不思議なのだ。試合の前日、なぜか自分が無縁の飛鳥に話しかけようと思ったのが。「わかってもらおう? 全然思っていない。ライオネス飛鳥に長与千種をわかってもらえるはずがない。でも話そう」 そう思った。最後なんだから、もうどう思われてもいいよ。席を立たれてもいいよホントのこと言わなくちゃ、死んでしまう。生きられない。
千種は飛鳥を応接室に呼んだ。ソファーに座ると同時に千種は話始めた。「明日の試合は2人とも"決まり"を忘れてやってみない?」 あそこを蹴っちゃいけないとか、そういう技の次はああしなくちゃいけないとか、そういうのはなし。一切なし。思い切って、自分たちのものをだしきって、のびのびね、今までと全然ちがうことをしたい。プロレスと違うって言われてもいいと思っている。うちはやってみたい。"こういうのやれたらいなぁ"と思っている夢を、全部ぶつけてみたい。夢でプロレスやってみない?」
千種はこう言いながら、次の瞬間にも飛鳥が「あなた、なにバカいってんのよ」といって部屋を出ていだろうと半ば信じていた。しかし違った。「あたし、ずっとそう思ってきた。ずっとそうやりたいと思ってきた、ホント、ホント、ずっとずっと昔からそう思ってたの」
飛鳥の言葉がようやく自分の胸の中に落ち着いたとき、突然音を立てて胸の奥の凍土が溶け始めた。
翌日の試合(1/4)は殴りあいで始まり、飛鳥は場外で千種に猛烈な蹴りを叩きこんだ。「際限もなく蹴られながら、あたしも感じたね。飛鳥は飛鳥自身の何かを蹴りやぶったんだって」
飛鳥はそのとき、その試合の時はあたしにとって、それと飛鳥自身にとって、今までの女子プロレスっていうのを全部しょいこんでいた。それであたしはその"今までの女子プロレス"を破壊しようとする力だったんだと思う。破壊者・千種。飛鳥はあたしっていう破壊者を蹴って蹴って、蹴りまくって叩き潰そうとして、結局自分自身で"今までのプロレス"の枠をぶち破っていたんだと思う。そう感じた。あたしにはそのときのあたしは、飛鳥がの顔が何人もの先輩の顔に見えた。ホントのとこ、飛鳥は飛鳥じゃなかった。あたしが殴っていたのはもっとたくさんの人たち、プロレス全体、ものすごくものすごく大きなもの」。結果はフォール負けだった。天井からゴングの甲高い音が余韻を残して消える瞬間だった。意識を失ってから、飛鳥の姿を目で捉えるまでどのくらいの時間がたったんだろう。おそらく数秒間にすぎなかったことだろう。負けた! という意識が四つん這いの千種の頭に達するには、さらに数秒間を要した。そのことがわかったとき、千種の内側から灼けるような熱い思いが吹きこぼれていた。
「お前のあの表情、負けてるのに凄い良かったよ」社長がいった。「俺、久しぶりにレフェリーしていて汗かいたよ」。こういったのはジミー加山だ。
千種の最後の試合は予想を裏切って、皆の支持を得ることになった。
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最初から闘志むき出しの平手打ち合戦。志生野アナが思わず見ていて危ない、と言っています。今見ても、このケンカ殺法の対戦はかなり熱くて、クラッシュ結成後よりも、この試合のほうが面白いです。この試合から徐々にクラッシュ人気が出始めて、日本を席巻していくわけです(サクラがテープ投げしたり、プッシュはあったりしろ)。
この試合をリングサイドで見つめていた松本の気持ちは、おそらくダンプ・ザ・ヒールのマンガ第二巻の通りであったものだと思われます。
さて、この試合はライオネス飛鳥の勝利で終わるのですが、松本にとってはその後の試合で伏線がありました。
千種の激しいヒザ攻撃で、試合の途中に飛鳥の膝が脱臼してしまいます。
ジミー加山が急いでヒザを入れています。ちなみに松永兄弟が柔道の有段者なので、そこら辺の医者よりも、はるかに上手に関節などをうまく治してしまうそうです。
松本はこの飛鳥の脱臼を見逃しませんでした。
1983/1/8の熊谷体育館の全日本王座で、松本は飛鳥の足を集中的に痛めつけて、なんと4代目の全日本王座につくのである。
こういう抜け目のないところに、極悪女王の片鱗をみることができます。
その続きはこちらです。