1983/1月 雑誌「写楽」松本がカワイイ!! 女子プロレス集合写真クイズ 

クラッシュ・ギャルズブームになる前の1983年に、この当時のメンバーの集合写真によるクイズが、雑誌「写楽」に掲載されました。

 

 

 

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全日本女子プロレス軍団 集合写真クイズ 賞金総額100,000円

17歳の千種さんがヌケタ

 

クイズの解き方

右と左の写真を見比べてほしい。右から左へ1人いなくなっている。それはどのコか、右端のイラストにある番号で答えてください。

 

年間300試合の女らしさ

圧倒的肉弾パワーを見せつける、全日本女子プロレス軍団。観客たち の"お目当て"は、まずミミ萩原。 かわい子ちゃん歌手から一転、口 ープ最上段から相手の顔面めがけて、 なんと、おしりで体当たり。これが必殺ヒップドロップ。
「あのミミちゃんが、あんなあられもないかっこうを。うう、たまらない」と、ため息をもらす男性ファンもちらほら・・・
しかし、当の本人、「そういう目では見てほしくない」とキッパリ。 

「私はいつも、自他ともに認めるプロレスバカになりたいと思っています。それぐらい私はこの仕事が好き。 リングの上では、女子プロレスの"女子"の部分ではなく、勝負としてのプロレスを見せたい」
その意気込みは、ミミと人気を二分するジャガー横田、悪役の親玉、デビル雅美しかりである。
要するに、根っからの"格闘技" 好きなのだ。
最近の試合ぶりは、男もまっ青。 クサリや木刀を振りかざしての大乱闘、バックドロップから4の字固めまで、男まさりの大技を見事に披露。 

「この人の、この技を見ないと女子プロレスを見た気がしない」と、いまでは1人のレスラーひとりひとりにファンがべったり。
 

全日本女子プロレスは、15年前に発足。客の入りがまばらだった当時がウソのような、連日連夜の熱狂ぶり。7年前にマッハ文朱が、4年前にビューティーペアがブームを呼び起こして以来、いまや女子プロ・スポーツ界の花形的存在だ。
旅から旅へと年間300試合。ファンの歓声を背に受けながら、殴って蹴って投げとばして・・・。
しかし、そんな彼女たちも、一歩リングを降りると、普通の女のコ。 彼女たちの会話を聞けば、それがわかる。
「時間に余裕があれば、習っておきたいことがいっぱいあるんだけどな。 料理でもいいし、お茶でもお花でも ・・・。将来のためにね」楽しみといえ ば、今のところ読書ぐらいしかないと、ちょっぴり不満気。
「私たちの仕事って、旅が多いでしょ。移動中のバスの中では、寝てるか食べてるか、本を読んでるしかないんですよね。だから、太るんだって? だれ、そんなこというのは」 

もちろん、ただいま全員独身。 

「でも、そろそろステキな彼氏をつかまえなくちゃ。写真、よおく写してくださいね」
女子プロレス軍団を"ギブアップ" させる男性が、はたしているかな。 自信のある人はお名乗りを。

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さて、写真部分をもう少し拡大してみます。

 

↓こちらが右ページ。ここから長与がいなくなります。

(おそらく、左上からタランチェラ、デビル、大森、ジャンボ、次の段がミミ、ジャガー、高階、飛鳥、長与。そして下の段が山崎、立野、松本、小松原。間違っていたら教えてください(^^;))

 

↓こちらが左ページ。

 

ユウがいないんですね。なぜ!? タランチェラと2人でマスクマンになってしまうからでしょうか?

 

右ページはレスラーの顔ということで真面目顔で、左ページは普段の顔ということでみんな笑顔です。

このクイズ、女子プロファンの人は簡単だろうけど、この当時に女子プロレスを見ていない人には意外と難しいんじゃないですかね。ファイターの顔と笑顔ってけっこう違いますし。

ちなみに「写楽」ではこの頃は「全員集合・誰かひとりヌケタクイズ」を、毎号やっており、他には高校球児などがクイズにされています。

この時代は人気低迷の頃だったので、わざわざ全日本女子プロレス興業から「写楽」に依頼したのか、「写楽」から依頼があったのか、よく分かりませんが・・。

 

松本もとても可愛く映っています。座ると100kg近くあるようには見えないですね(^^;  

 

この写真を見ると、当時の普段の松本の様子がなんとなく伺い知れます。松本はダンプに改名するまで、一度も単独で取材を受けたことがなく、しかもほぼ最初からヒールとしてデビューしているので、写真として"笑顔"で映っているものはあまり残っていません。

 

この写真だけ見ると、会社がベビーフェイスでも行けたのではないかと考えていた理由もわかりますし、普段の松本を間近で見ていた志生野アナが「ヒールですが愛嬌があります」と話していた理由も納得できます。

 

ダンプの著書に実は高校時代はけっこうモテていたらしくて、いくつかエピソードがあるので、紹介します。

 

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「おかあちゃん」より

高崎線にて
高校時代は、熊谷から大宮まで、高崎線で通学していた。
高三の秋、その電車の中である男の子から手紙を渡された。
「手話なんですけど、つき合ってくれませんか。ぼくの文化祭に来てくれませんか」
「おつき合いはできないけど、お友達ってことなら......」
どうやらわたしに相談相手になって欲しかったようだった。
彼はわたしより四歳年下の中学二年生。 弟のような気がした。
「明日もこの電車に乗りますか?」
「ええ、乗るわ」
わたしたちはメモとペンで会話をした。
彼は背が高くてやさしい性格をしていた。
毎日のように彼は、大宮発午後六時四分の高崎線に乗り、わたしの座席を、学生かばんでとっておいてくれた。
一緒に映画に行こうと映画館の前まで来て、彼が耳が不自由だということを知って引き返し たことがある。今思えば、あの時一緒に映画を見るべきだったかもしれない。
「ぼくのこと、 どう思う?」
ある日、彼はわたしに手紙を書いてきた。
雨の日だった。
彼は自分が耳が不自由なことを気にしていて、自分と一緒にいていやじゃないか、迷惑しませんか、というような内容だった。
彼を勇気づける、何かうまい言葉を探したが見つからなかった。
そこで、わたしは自分が思った通りに正直に書くことにした。
「人は誰でも何らかのハンディーを背負って生きているのだと思うよ。精神的に、あるいは肉体的に。そんなことでわたしは差別した目では見ないからなかよくしようね」

雨の日だった。
彼と一緒に高崎線に乗って帰っていた。
すると彼はいきなり、電車の窓に大きく、「好き!」と書いた。
「ありがとう!」
とわたしは書いたが、窓にではなかった。ノートに小さく書いて、彼に手渡した。
突然のことに驚き、その上私は満員の乗客に「好き!」の文字を見られたのがとても恥ずかしかった。心の中が真っ赤になった。

純粋で若すぎた二人。
その後、彼には会っていない。

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この写真の2年後にはダンプとなって、「日本で一番殺したい人間」になっているとは想像もつきませんね。