
AJWW 1983/6/1 大宮スケートセンター 4代目全日本王座 松本香vsライオネス飛鳥
VHS Pro-Wrestling様のYoutubeより
同じ動画です(予備用)
松本は下記のブログに書いたように、1983/1/8にライオネス飛鳥から全日本王座を奪取しました。
デラックスプロレス 1988 5月号
ようやく勝ち取った初めての王座ベルト。ここから松本は王座にふさわしく選手になるよう、堂々とした試合をするように心がけていた感じがします。
ただ、それが良いのか悪いのかはまた別の話です。
良く言えば「王者の貫禄」、悪く言えば「奔放さが消えた」という感じですかね。「あまり悪いことをせずに、実力で勝とう!!」 ヒールですが、そんな感じの試合が多くなったのかと思います。1983年前半の試合があまりYoutubeにアップされていないし、そもそも松本のチャンピオンだったときの試合が放映されていないと思うので、詳しくは分からないのですが、志生野さんの話だとそんな感じがします。
全日本王座は、2度防衛します。最初の防衛戦は立野記代にフォール勝ち、二度目の防衛は山崎五紀で時間切れ引き分けでした。後輩にはベルトを譲らなかったが、ヒザを故障して選手としてもうダメかと悩んでいたというライオネス飛鳥は、奮起して1983/6/1 大宮スケートセンターで松本に襲い掛かります。
試合開始早々からいきなり場外戦へ。本来ヒールの松本のほうが場外戦は得意のばずなのですが、この日の飛鳥は気合の入り方が違います。
場外で松本をイスに叩きいれます。松本は焦ったのか、リング内に戻ると早くも得意技のボディアタックを2発入れますが、その直後に飛鳥のネックブリーカーとボディスラムで反撃されます。さらに95kgの松本を持ち上げてブレーンバスター。会場から飛鳥に歓声があがります。
さらに飛鳥は松本をバックブリーカーに持っていきます。
飛鳥は95kgの巨体を持ち上げてバックブリーカーに出来るあたり、足腰が本当に強いです。当時の長与千種では出来ないでしょう・・(というか松本がさせてあげないかも)。飛鳥の基礎運動能力の高さが目立ちます。
場外乱闘もこの試合の見どころです。
また志生野アナのアナウンスも相変わらず絶好調です。
志生野アナ「松本が放送席にやってまいりますと、放送席は完全に崩れちゃいます」
志生野アナ「何か放送席で見栄を切った感じのチャンピオン松本であります」
志生野アナ「今度はライオネス飛鳥、お返しだ」
志生野アナ「あ~、90kgが客席に!!」
志生野アナ「リング上で見栄を切りました、ライオネス飛鳥であります」
志生野アナ「ご覧ください、松本香」
志生野アナ「あ~あ、なにかフテ腐れてますけどもね」
志生野アナ「場外乱闘をみても、いまの松本が余裕があるって感じですね」
いやぁ、やっぱり志生野さん最高です。
今現在のプロレスも志生野さんが実況したら絶対に面白いと思います。
松本も態度が悪くてふてぶてしい感じがいいです。でもなんとなくえくぼでいい人っぽく見えるし、凶器も使っていないので、正統派っぽくみえるヒールなチャンピオンです。
また、志生野アナが途中で気になる言い方をしてますね。
志生野アナ「先輩後輩という言い方はリングの上ではできないんですけども」
志生野アナ「あえていいますと、ライオネス飛鳥は松本香の先輩であります」
志生野アナ「ある意味では大先輩なんですけどもねぇ」
志生野アナ「どちらが先輩か分かりません。堂々たる松本香」
志生野アナ「それにしても松本、強くなりました」
いやいや、入門同期だし、年齢でも松本が上だし・・。
このときは志生野さんは飛鳥と松本が同期と知らなかったのか、飛鳥の出世スピードがあまりに早かったから、勘違いしたのか!?
一方の松本は、飛鳥の上で仁王立ちしたり、反則時にレフェリーを投げつけます。レフェリー投げつけは、昔からよくやってますね。
レフェリーを投げつけるのは、1981年くらいに長与千種との対戦時の時間稼ぎ(千種のための)でガンガンやっていましたが、それがお客様への一発ネタになってました。
波乗りサーフィン
レフェリーを投げる
最後は飛鳥得意のバックドロップ→ジャイアントスイング→トップロープからのボディプレス→人間風車→バックドロップ ここで松本が腰を痛めて3カウントでした。飛鳥はやはりプロレスの組み立ての面では一枚上手で、決める時の怒涛の畳み込みは上手いと思います。
そして、松本は人間風車のあたりで腰を痛めていると思います。
すでにヒザが悪い状態だと思いますが、この試合でさらに腰まで悪くしてしまったかもしれません。
レフェリーと山崎五紀に介抱される松本ですが、かなり熱い試合でした。
松本は1982年はくすぶり続けていましたが、1983年に全日本王座を取ってからは、プロレスの内容、組み立てが分かってきて、さらに自力もついてきたので、ようやく人に魅せるプロレスが出来てきたという自信もついたころだったのではないでしょうか。
しかも、この試合はヒールなのに何も凶器は使っていませんし、ヒールらしいことはたいしてやっていません。だからこそ、中途半端と言われてしまったのかもしれませんが・・。
ただ、この全日本王座のときは、あまりに「王座」にしがみつこうとして、正統派の技をしたり、悪への追及が薄かったり、松本特有の「コノヤロウ」があまり出ていなかったのも事実です。ファンが見たかったのは、チャンピオンの貫禄を持つ松本ではなく、もっともっとファイトをむき出しにてがむしゃらにプロレスをするド派手パフォーマンスの松本香の姿だったのかもしれません。
1984年に「ダンプ松本」に改名して、この松本香のレスリングは死んでしまいます。私はリングの中で、95kgもありながら、どことなく可愛い感じがし、愛嬌もあり、手足をバタバタとさせながら、がむしゃら娘という言葉がピッタリの松本香の1983年の時代がとても良かったとも思うし、大好きです。