AJWW 1984/1/26 WWWA世界タッグ選手権 広島県立体育館
大森ゆかり、ジャンボ堀vs ダンプ松本、マスクド・ユウ
1984/1/26にもダンプ&ユウのWWWAの世界タッグの試合があったのを、「全日本女子プロレス黄金伝説」さんのページで発見しましたので、こちらにも記載しておきます。ダイマナイトギャルオさんの調査力は素晴らしいですね。
この試合はYoutubeビデオがありませんので、エキサイティングプロレス(1984.3月号)の記事で見ていこうと思います。
まだデビル軍団解散前の松本&ユウのコンビで、極悪同盟前の試合です。デビル軍団No.3、No.4のペアが実力的にどうして当時のチャンピオンである、ダイナマイトギャルズに挑戦した経緯は分かりません。
本来であれば、デビル&タランチェラが妥当ですが、すでにタランチェラの故障があったので、デビル&マスクド・ユウ、またはデビル&ダンプで挑んでも良さそうですが、デビルが拒否しそうなタッグチームです(笑)
デビル軍団解散がある程度決まったうえで、会社もプッシュとして前哨戦として組んだカードだったんですかね。
女子プロレス物語より--------------------------------------
165cm、100キロの松本香が「ダンプ松本」と改名したのが1984年の新春シリーズだった。同期の飛鳥や千種が空手技を取り入れ、グングンと人気を上げていく。デビル軍団No.2(たぶんこれは間違いでNo.4)に甘んじていた松本は心に期するものがあったのだろう。172cm、100キロのユウをパートナーに"200"キロコンビで"極悪の華"を看板にタッグ抗争に殴り込んだのである。二人には長く苦しい下積みの経験がある。クラッシュ以上に這い上がり精神は強かった。
「いつかはデビルのカラーから脱皮しなければ・・」。松本が独立を決意したのは、このころだ。だが、木刀をトレードマークに"悪のドン"として君臨するデビルの存在は脅威だった。日ごと焦りを増す松本はありとあらゆる凶器を使い、リングを混乱させ、自分たちの存在をアピールした。
巨体コンビの合体、それはまさに血に飢えた重戦車だった。その200kgコンビがついにWWWA世界タッグ挑戦のチャンスをつかんだ。シリーズも終盤となった1/26の広島県立体育館であった。
「どんな手段を使ってもベルトをもらう。クラッシュなんかに負けてたまるか」。松本はこう叫んだ。同期のクラッシュに差をつけられていた松本の憎しみがそこにはあった。だが結果は王者組が勝って、世界タッグ抗争は再びクラッシュ対ダイナマイトギャルズに向けられたのだ。
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上記の文章は1980年代に山崎照朝さんが書かれたものなので、脚色しているところも多分にあるのだが、松本が「ヒールとして最後のチャンス」と心に決めて挑んだ最初のビッグタイトルなのではないかと思います。ユウも1984年が最後のチャンスと考えていたかもしれません。
結果は2対1で負けています。松本もかなり空中技を受けているように見えます。
ダンプが放送席にジャンボを叩きこんで、さらに机で攻撃したのか?
鎖やバケツでガンガン攻撃したんだと思います。レフェリーは阿部四郎ではないてすね。ミスター郭かな?
最後はユウがフォールを取られたんじゃないかと思います。
→極悪チームの反則負けというコメントをいただきました。ギャルオさん、ありがとうございました。