
(2023/1/23 日付を訂正、画像を追加)
エキサイティングプロレスの1984年7月号に詳細記事があったため、画像と文章を追記。
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フジテレビ系の「笑っていいとも」の月曜日の人気コーナーに、「奥さま勝ち抜き腕相撲」というのがありました。
そこにダンプ松本が登場しました。
ダンプの標的は、当時女子プロの放送席のゲストで、ダンプの悪口をさんざんいいまくっていた、いいとも青年隊の野々村誠です。
(ファイトスペシャル1より)
この件について、「ダンプ松本のマジだぜ!」に記載があるので引用してみます。
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「笑っていいとも」っていうと、最初に思い出すのが、「いいとも青年隊」の"まこと" だな。
こいつは、ホントに頭にくるやつだぜ!
みんなは知らないだろうけど、ダンプちゃんが「いいとも」に乱入したのには、キッチシ理由があるんだ。ホントは、以前はダンプちゃんも「いいとも」がけっこう好きだったし、オモシロく見 ていたもんさ。
あの「テレフォンショッキング」とかいうのにも、出てみたかったしさ。
ところが、それもあの一件で、ブチコワシになっちまった。
あの一件というのは、TVの女子プロレス中継のゲストに、いいとも青年隊が出た時のまことのことだ。
あいつら、アツシ以外は背も高いし、それなりに悪からぬやつらだって思ってたのに、ゲスト席で言うことときたら・・・。
「ダンプは、もう人間とは思えませんね」
「ダンプって、あれでも女なんですか?」
あげくのはてには、
「ダンプと結婚するなんてやつがいたら、大笑いですヨ!」
だってよ。
この最後の言葉をバッチリ言ってくれたのが、誠ってワケだ。
「ゼ・ッ・タ・イ、ユルセね――ッ!」
ダンプちゃんは怒り狂ったぜ。
ちょうどその頃、フジテレビのほうから、
「松本さん、実は「笑っていいとも」という番組に「奥さま勝ち抜き腕ずもう」っていう
コーナーがあるんだけど、出演してもらえませんか」
って、ふってわいたような話。
こんなオイシイ話、ことわるワケないッ!
もちろん、標的は誠にしぼって、出かけていったというワケさ。
で、いざ乱入してみたら、口であれだけの ことを言うやつだから、少しはホネがあるのかと思ったら、これがまったくのフヌケ。 みんなも知ってのとおり、あの逃げまわるザマを見て、ダンプちゃんはますます腹がた っちまったもんな。
それからというもの、誠はダンプちゃんのエジキになりつづけてるってワケ。
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野々村誠との因縁は以下を参考ください。
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追記
1984年7月号雑誌「エキサイティングプロレス」より
ダンプの髪形からして、1984/10月はちょっと違うかなと思っていたところ、ちょうど記事がありました。1984年の4月にはすでに「笑っていいとも」に登場していたことになります。
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ダンプ松本が“青年隊”にお礼参り
"テレホンショッキング"などバラエティな企画で人気のあるフジテレビ「笑って いいとも」に、な、なんとダンプ松本が突如乱入? これは、4月30日放送分での出来事だった。
松本は、トレードマークの皮ジャンに、不気味な化粧という、リングでの極悪ぶり を、そっくり抜け出たようなスタイルで登場。"いいとも青年隊" の3人組 に、チェーンを振りまわし、痛めつける無法ぶりをみせたのだ。
なぜ、松本がこのような暴挙を起したかと言えば、依然プロレス中継のゲストとして招かれた"いいとも青年隊"が、放送席で、悪口を 言いまくったからなのである。
松本の暴れっぷりには、司会者のタモリもびっくり。
腕相撲で対決ということになったが、野々村誠、久保田篤を軽く手玉に取り、最後の羽賀健二の番が来る前に、CMが入り、ストップ。放送終了後も、松本を遠巻きに見ている"いいとも青年隊"であった。
パートナーのクレーン・ユウが、イマイチ、私生活では、自分のキャラクターに徹しきれないが、ダンプ松本はまさに、地で勝負?
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上記のような経緯だったみたいですね。
4月なので想像以上に早い時期でのテレビ出演です。まだフジテレビのゴールデンタイム放送の前ですので、ダンプを知らない人も多かったはずです。
最後の「クレーンはイマイチ、私生活でも徹しきれていない」という文章がありますが、エキサイティングプロレスの記者はかなり優秀ですね。この後、ヒールに徹しきれないクレーンが離脱することを暗示するような記事を、すでに一年前に書いていることになります。