1984/7/3 館林市体育館 クレーン・ユウvsジャンボ堀 レスリング巧者のクレーン

Evito-X-PuroさんのYoutubeより

1984/7/3 熊谷 クレーン・ユウvsジャンボ堀 

 

18:00~くらいから

 

(↓AIでフルハイビジョンに変換した動画です。試合のみ抜粋)

[AI FHD 60fps] AJW 1984 07 03 熊谷 クレーンvsジャンボ堀リンクyoutu.be

 

今回は極悪のもう一人の華、クレーン・ユウのシングル戦を見ていこうかと思います。

 

クレーンは極悪立ち上げ時からのメンバーで、極悪同盟を話すには欠くことはできません。

ところがクレーン・ユウについて、調べてもほとんど情報がなく、「ぶるちゃんねる」の出演動画と「吉田豪の"最狂"全女伝説インタビュー集」くらいにしか、見当たりません。

こんなに重要な選手が、なぜ!? という感じなのですが、理由としてはクラッシュブームでの雑誌やムックの発売の多くが1985年の中旬以降で、そのときにはクレーンはレフェリーに転向してしまったためです。

そもそもダンプとクレーンは、極悪同盟で成功するまで、個人インタビューは一度たりとも受けていません。ダンプは後年に自伝本をたくさん出版していますが、クレーンにはそのようなものもないため、分からないことが多いです。

 

そんな中でも少しだけ情報がある「吉田豪の"最狂"全女伝説インタビュー集」から抜粋していきます。

 

クレーンと吉田豪との対談--------------------------

―全女の上下関係は激しかった?
ユウ そうですね、いかにも全女!みたいな。自分が全女に入ったときはビューティ・ペアは解散して、ジャッキー(佐藤)さんしかい なかったんですけど、バブルの前のどん底みたいな、お客さんが入っ てない状況で。
―ビューティ・ペアきっかけで華やかな世界に憧れて入ってきたら、 どん底だった。
ユウ だから「・・・あれ?」 みたいな。自分もすぐに歌を歌えると 思ってたんですけど。
―そういう感覚だったんですか(笑)。
ユウ 私もビューティ・ペアになりたくて入ったんで(笑)。私、いろんなものに感化されやすくて、たとえば小学生のときに 『金メダルへのターン!』っていう水泳のドラマをやってたんですよ。 泳ぐことは好きなので、「あ、私もオリンピックいけるかも!」みたいな感じで、親にスイミングスクール行きたいって言ったんだけど、 ウチはそんなに裕福な家じゃなかったんで、ちょっと無理だわって言われて。
―いざ入ってみて戸惑いませんでした?
ユウ 戸惑いますよね。「なんだこりゃ!」「いきなり試合できるわけ じゃないんだ」「いきなり歌えるわけじゃないんだ」って。 

―当たり前ですよ!
ユウ 新人の頃は寮に入って、朝10時からお昼ぐらいまで練習して、 そこから夕方までは休憩なんですよ。その間にラジオとかに送る ビューティ・ペアのリクエストハガキとかをみんなずっと書いてて。 ビューティ・ペアのあとはクイーン・エンジェルスとかもいて、そういうのも1日何十枚もずっと書いてて。
―そんなこともやらされてたんですか!
ユウ はい。あと地方に行ってお客さんが入らないと困るんで、人数も多かったから、試合ない人は宣伝カーと一緒に行って優待券を駅前 で配ったり。私は宣伝カーの声を録音して、ダンプ (松本)は宣伝カーを運転して。
一極悪同盟が地道な宣伝活動を(笑)。ダンプさんがよく「当時、 長与千種とクレーンがイジメられていた」みたいな話をされてますけ ど、実際のところどうだったんですか?

ユウ 全然気づいてなかったかもしれないです。・・・イジメに遭って たのかな? 子供の頃から何をしてもデカいから目立つんですよね。 たぶん、後先考えずに先輩の前とかでも余計なことを言っちゃったり。 そこにいるってわからないで「あの人、嫌だよね」とか。
―しごきが当たり前の世界ですからね。
ユウ そう。それが当たり前だったし、それこそ練習中に水を飲んじゃいけない世代じゃないですか。長いジャージとトレーナーと、上 にシャカシャカ着せられて夏の炎天下のなかずっと走ってるとか。いまみたいに熱中症って言葉もなかったから、なんかボーッとして、知らないあいだに倒れてて、気がついたらエアコンが効いてるところに寝かされて、「ここはどこ? 私は誰?」みたいな感じで。そんなの がほぼ毎日ですよね。たしかに私もダンプも練習が好きではない、で もやらなきゃいけない。だから練習が怖いんですよ。
―練習以外もまたキツいわけですよね。
ユウ 試合が終わっても着替えもせず、そのまま雑用で。「はい」「失 礼します」「すみません」「お願いします」「ありがとうございました」 ぐらいしか新人の頃は話してないです。それで、『人生ゲーム』のオ モチャのお金を渡されて、「これであそこの肉屋で靴下を買ってこい」 とか言われるんですよ。
―ああ、そういうかわいがりが......。
ユウ 「え、これって『人生ゲーム』のお金ですよね?」 って喉元まで出てるんだけど言えないから。「ここから見てるから行ってきて」って言われるんで、ホントに行って。やり取りする振りだけして も「しゃべってないでしょ?」とか言われるし、「やっぱり買えませ んでした」って言っても「なんで買えないのか聞いてきて」って。当時は、なんでこの人こういうことを言うんだろうと思って。
―主にそれをやるのは誰だったんですか?
ユウ マミ熊野さん。たとえばこれ赤いですよね。「なんで赤なの? 誰が決めたの?」「いや、ちっちゃいときから赤い色っていうのは教わりました・・・・」「じゃあこれ今日から黒ね」みたいなことを言われて。
―「白い色でも先輩が黒と言えば黒」っていうのが全女にはホント にあったんですか!
ユウ そう。だからいまだと下手したら裁判沙汰になりますよね。何 人も地方でいなくなっちゃったりとか、旅に出発するのに「行きませ ん」とかゴネたりする子がいたから。でも、自分はポジティブシンキ ングなんで。その頃は365日のうち360日試合してて、その5日 間がいつ休んだのかもわからないし。
―せいぜい正月ぐらいですよね。
ユウ 正月も3日とか4日が後楽園ホールで、2日とか3日にマラソ ン大会やるんですよ。全女の目黒の事務所から明治神宮まで。私とか ダンプなんてひとり1000円ずつポケットに入れて、途中でタク シーに乗って。そういうズルばっかりやってましたね(笑)。

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さて、今回の試合を見ていきます。

 

 

 

今回は熊谷の試合です。クレーンvsジャンボ堀、ダンプvsジャガーという、この時期に珍しく極悪同盟が個人で戦うマッチングでした。

クレーンの入場で鳴っている音楽がベビーフェイスの曲、ジャンボのときは極悪の曲が鳴っています。どうやら音楽担当の人がテープの順番を間違えたんでしょう・・(^^; 選手は集中しているので何も気が付かないと思いますが(^^;

 

 

 

志生野アナ「手に鎖をもって登場というクレーン・ユウであります」

志生野アナ「こういったファッションがなにか身についてきましたね」

志生野アナ「あくまでも不気味な感じです」

志生野アナ「いつもはダンプ松本とコンビで暴れまくっているクレーン・ユウなんですけど、いちおう今日は一人ということで、どういった試合ぶりをみせるか?」

宮本「もちろん、凶器攻撃は出てくると思いますが、レフェリーも問題の阿部四郎ですから」

志生野アナ「(阿部四郎は)愛嬌のある顔をしているんですが、どちらかというと同じ体型ということで、クレーン・ユウ、ダンプ松本に最近はえこひいきがひどいという阿部四郎レフェリーであります」

 

試合開始です。

ジャンボ堀とクレーン・ユウの身長が高い2人の対戦です。クレーンのシングル戦の相手とジャンボ堀をマッチアップさせるのは考えてますよね。

 

 

 

いきなり、ジャンボがボクシングスタイルでのパンチ攻撃!! 何か新しい感じがしますが、前日から極悪同盟の凶器に対抗して考えていたんてしょうか。

 

 

 

ベビーフェイスらしからぬ奇襲攻撃に、クレーンも焦って背中に隠しておいた空き缶で攻撃しますが、阿部四郎に誤爆!!

なにやら序盤から荒れた試合です。

 

 

 

クレーンは大きな体なのに、投げられた時は綺麗に豪快に吹っ飛んでいます。こういう点が、クレーンの「受け身がうまい」と言われるところなんでしょう。

 

 

 

志生野アナ「今日はクレーン・ユウも久しぶりにシングルマッチということもありまして、自分の持っている技を十分に発揮してもらいたいもんであります」

志生野アナ「かつてはマスクド・ユウという名前で、中島体育館でゲストの方が来られていたときは、おそらくマスクをつけていたんじゃないかと思うんですがね」

志生野アナ「マスクを外しまして、ダンプ松本といまコンビを組んで、やりたい放題というか、悪の限りを尽くしているですよ」

 

 

 

クレーンは顔だちが大人の雰囲気で、太っているのにスマートな感じがします。妖艶系のレスラーなんじゃないかと思います。デビルもこの路線ならば、マスクを脱がせて、ペアも全然アリだったと思いますけどね。

 

ゲスト「マスクをとっても、おっかないね」

志生野アナ「いやー、マスクを取ったほうがおっかないですよ」

志生野アナ「マスクを着けていた時の方が、かわいかった」

ゲスト「かわいいね。聞こえたらどんなことになるか分からないよ」

志生野アナ「大変なことになりますけどね」

 

 

 

志生野アナ「ダンプ松本がセコンドから出ないということは、形勢がいいということなんですかね」

宮本「そうですよね、じっくりと攻めてきてますからね」

志生野アナ「こういう凶器を使わなくたって、体があるんですから、なかなか迫力がありますよね」

宮本「そうですよ、凶器だけで制圧できるほど、そんなに甘くないですからね」

志生野アナ「十分力と力、技と技での見事な試合であります」

 

クレーンの場合は、巨体とレスリングの技を活かして、凶器に振り切らなくても、ストロングスタイルの良い試合をしてきます。そのあたりがポスト・デビル雅美と言われたところかもしれません。

レスリングが上手い故、ダンプがセコンドとして、出ていく場面も限られます。

 

ただ、プロレスラーはどこか一点が他のレスラーより圧倒的に振り切っていたほうが人気がでます。その点、ダンプは凶器に振り切ってしまったので、憎まれ人気というか、その差が出たんじゃないかと思います。

 

 

 

しかし、やはり極悪同盟のNo.2として反則攻撃が徐々に出始めます。ひとまず、噛みつき攻撃。

 

 

 

 

しかし逆襲に出たジャンボ堀が、極悪のお株を奪う放送席への急襲。クレーンを放送席に投げ込みます。

 

 

 

怒ったクレーンは雄たけびを上げます。そろそろ臨戦態勢が整いつつあります。

ダンプもそばにいますが、ジャンボ相手ならばクレーン一人でも十分に戦えるという算段があるんでしょう。凶器の受け渡し以外は、クレーンに任せて、手は出してきませんね。

 

ダンプにとって、クレーンは極悪同盟時代で実力的には最も信頼できる相方だったと思います。背中を預けても大丈夫、むしろクレーンのほうが助けていたところもありますからね。

1987年のブル中野も実力的には近くなっていきますが、ダンプが自分の背中を預けられる選手まで達せなかったと思います。中野の場合は、年齢も離れているし、後輩ってのもあるんでしょうが。

 

 

(いよいよ、凶器が発動。栓抜き攻撃)

 

 

(先ほどの仕返しとばかりに、場外乱闘)

 

 

ジャンボ「凶器もってんじゃねーかよ!!」

ジャンボ「なんだよ、あれ!!」

 

ジャンボとセコンドの大森の声がよく聞こえますね。

ちなみに栓抜きを手放しても、クレーン→ダンプ→阿部四郎→クレーンと、一周回ってまた戻ってきますw

 

 

ついにダンプからパイプ椅子が渡され、ジャンボに突き刺さります!!

 

さすがはパイプ椅子大好きレスラー、クレーン・ユウ!!

 

ダンプも以前にこのパイプ椅子で痛めに遭っているので、クレーンの大好きな凶器を分かって渡していますね。(^^;

 

 

 

ところがジャンボ堀にパイプ椅子を奪われて反撃を喰ってしまいます。

少々、優しく叩きすぎたのか!?

 

パイプ椅子でやるときはガツンとやってほしい!! (笑)

 

 

 

ジャンボの反則負けになりましたが、クレーンがパイプ椅子を奪われてしまったのが残念です。反則負けでいいから、パイプ椅子で一気にノックアウトさせてほしかったです。

試合後も揉める堀とクレーン。

 

 

 

 

顔をアップしてみると、この2人はアダルチックです。

このころは、ジャンボも大森もクラッシュ前夜って感じで、元気でしたし、堀は写真集も出て存在感があったんですけどね。このあとのクラッシュ人気が凄すぎました。

 

 

今日の凶器 空き缶、栓抜き