この頃になるとクラッシュファンからの嫌がらせが横行し始めます。
地元の熊谷では、家に石を投げられ、ダンプの母親にまで嫌がらせがあり、過熱していきます。
リング外で、このような事態になったプロレスラーは、前例がなかったと思われます。
それだけクラッシュギュルズが大ブームになったともいえます。
そして、ダンプ松本のクラッシュに対する攻撃も苛烈だったと言えます。極悪・ダンプを絶対に許せない!! というクラッシュファンが急増していきます。
テレビで放映されるダンプの悪逆ぶりを「本当」と信じる人が、世の中には多かったということも言えます。
「テレビの中のことになのに、昔の人ってバカなんじゃないの?」今の人はそう感じるかもしれません。しかし、今も昔も大して変わりありません。
つまり、情報が少なかったからではありません。
例えば昭和に「オイルショック」があったときに「トイレットペーパーがなくなる!!」という怪情報が流れて、トイレットペーパーの買い占めが行われました。
最近まで私は「なんてアホな事件だろう」と思っていたのですが、コロナ禍になった令和でも、またまたトイレットペーパーの買い占めでパニックになりました。
今も昔も変わりません。情報があればあったで、それに踊らされるのが国民です。
そして、昔は直接嫌がらせをしましたが、いまはSNSに変わりました。
目に見えない相手なだけに余計に厄介です。木村花さんがネット民によって殺されたのが例です。
ダンプ並の強靭な精神力とプロ根性がなければ、押し寄せる匿名の投稿に精神的に殺されてしまいます。
現代のほうが怖いです。
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1984/9月雑誌「写真時代」に女子プロレスが掲載されました。
「女子プロレスララバイ」という単行本(垂水章・大山健輔著)がありますが、その一部が掲載されています。
掲載文章の一部------------------------------------------------
バスの一団が繰り広げるひとときの饗宴ラン煌々と輝くライトの下で、女たちの技と力がぶつかり合う。そうして数時間後には、またつぎの街や村に向かって、バスは走りさってゆく。
夜の夢は、ある者にとっては瞬時に消える他愛のないショーでしかない。しかし、一握りの人間にとって、それはいつまでも消えない熱い固まりとなって胸の底に残ることもある。綺麗な水着を着て、リングで闘う数年後の自分自身の姿を。
いつもクラスの男子生徒たちから「デブ、ブス、ブタ!」と罵倒されてきた少女が、夢の中でスターになっている。「私だって、スター!」 と少女は寝言で叫ぶのである。
少女はついに決心する。「この道は女子プロレスの道だ。私を生かす道は女子プロレスだ」
バスの一団は、そんな少女の決意を知るはずもない。だが、一夜の夢を追いかける決心をした少女たちが確実に増えていることは事実だ。全国の中学校にいる、少々手荒いことのお好きなデブ、ブス、ブタたちに、人生がそう捨てたもんじゃないことを教え、生きる勇気を与えたことは事実だ。僕はそう思いたい。
このバス、名前をレッド・フェニックス号という。華やかに色分けされた車体の側面に「女子プロレス」という字が踊っている。一日ごとの移動興行を続け、年間三百試合、全国をくまなく巡業して回っている。これはもう誰が見ても、いわゆるひとつの、大家族なのである。さらに言えば、ひとつの共和国なのである。
「女子プロレス共和国」
そうなんだ。女子プロレスは国家なんだ。動く共和国、ひょっこりひょうたん島なんだ。
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大山健輔さんの「ブス、ブタ」の言葉が強烈ではあるが、この当時の様子を良く表した文章であると思います。いまでは問題になりそうな比喩表現ですが、心につき刺さる文章だと思います。
「もう埼玉に帰ってこないで。ご近所に合わせる顔がない」---母親の言葉をかみしめて今日もダンプ松本は悪の限りを尽くす。
苦痛に顔をゆがめるクレーン・ユー。しかし誰からも声援は飛ばない。観客の罵声を一身に浴びてこそヒールの存在があるのだ。
垂水章というカメランマン、とてもいいアングル、表情の顔を撮影しています。
特にクレーンの苦痛の顔なんて、なかなか掲載できるもんじゃありません。良いセンスをしていると思います。
ダンプの母親が大変な目に遭ったということは有名ですが、当時のことを本から引用してみます。
「私じゃダメかい」より-----------------------------------------
「平気でいられるワケ、ないじゃん!!」
私がプロレスを引退するときに一番喜んでくれたのはお母さん。
いつも、ケガのことばかり、心配してた。それも自分のケガより、対戦相手のケガのことを、まず気にしてたのさ。
「人さまの大事な娘さんの身に万一のことがあったら申し訳ないからね・・」って。
けど、そう言いながら、自分のこともちゃんと気配りしてくれてた。スポーツ新聞とっててさ。毎日、娘が元気で試合をやっているかどうか、チェックしてたんだ。
それにお母さんは、試合をめったに見に来なかった。8年間で15回だったもの。勤めに出てたこともあるけど、心配でまともに見れなかったからだって、思うんだ。悪役でさかんに暴れまくってた時は、地元の熊谷で試合をすると、お母さんは遠くの方でみてて、こっそり帰っちゃう。
だって自分が登場すると、
「ダンプ、帰れ!!」っていう、"カエレ・コール"ばっかりだもの。たまんなかったはず。
「近所の手前があるから、家に来ないでね」って、マジに言ってた時期もあったのさ。これは悲しかったな。傷ついちゃった・・。
でも、お母さんのほうが、よっぽど悲しかったと、いまは思う。母親って娘のことは、自分のことだって、受け止めちゃうから。娘が周囲から悪く言われたり、悪く思われたりするのって、身を切られる思いがするみたい。
ある時なんか、試合が終わって、お母さんは真っ先に対戦相手の控室に駆け込んだことがあったっけ。血だらけの凄い試合だった。どうしたのかと思って、のぞいてみると、お母さん、「ごめんね、ごめんね」って、一生懸命、相手に謝っている。小さい体、めいっぱい折り曲げて。
その姿を見て、かわいそうに、なっちゃった。
<仕事なんだから、そんなに気をつかうことないよ>って思ったけど・・。お母さんはこうやって娘をかばってるんだな。それが痛いほど分かったのさ。
自分が女子プロの選手なってからの8年間は、"悪に徹する"ってツッパッてきた娘をかばうために、ほかのお母さんの何十倍も神経をすり減らしてきたんだ・・。
近所から変な目でみられ、悪口を言われてさ。石をぶつけられたことだって、あったんだぜ。
「ダンプの親は、娘にあんなことをさせて、よく平気だな」
そんな声も、ちゃあんと、きこえてた。
<平気でいられるワケ、ないじゃないか!!>
ふつうの、お母さんなんだもの・・・。
いつだったか、リングサイドで観戦してて、乱闘に巻き込まれちゃったことがあった。
人の下敷きになって、治療中の前歯がとれちゃって。
実家に帰ると、笑ってんだ。欠けた、歯を見せて・・。
「ひどい目に遭っちゃった」って、言いながらさ。そういう時って自分もつらくなっちゃう。
けど、お母さんは、そうやって娘を応援できることで、満足してくれてたみたい。自分はどんなひどい目にあっても。だから、自分が最後まで悪役に徹しきれたのも、
<ハンパでヤメたら、お母さんがかわいそう>
マジに、そういう気持ちからだったのさ。
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ダンプの著作本には母親のことが書かれた本が大変多いのですが、上記のエピソードを読むと母親に苦労を掛けた分、大切にされていたことがよく分かります。