1984/10 中野恵子(ブル中野)がついに極悪同盟に加入 将来はアイドルになる夢が・・

(2023/4/2 追記) エキサイティングプロレス1985/1月号より引用を追加

 

ダンプとクレーンの2人で全女の全選手を相手にして頑張ってきた極悪同盟。

ついに後輩が中野恵子(ブル中野)が入門します。

 

 

 

 


ブル中野がダンプ松本に極悪入りを説得された話は有名なので、あまり書きませんが、かなり強引の説得の仕方だったようです。

ブルの方も絶対に極悪には行きたくないようでしたが、ダンプにはもう逆らえないということで覚悟を決めたと話されています。

 

当時の極悪同盟の嫌われ方は半端ではなかったですし、一度ヒールに入ったら、もう一度ベビーフェイスに転向するまでは、陽の目を見ることはないし、赤いベルトすら巻くことができない時代です。せっかくプロレスラーになったのに、陽の目を見れないヒールになるなんて・・・ということで、しばらく(半ハゲになるまで)中野の悩みは続きます。

 

半ハゲになるまでの悩んでいるときは、おそらくダンプに殴られっぱなし。ダンプの英才教育(?)が始まります。ダンプとユウはヒールになって、4年間修業してきていますが、中野はここまでほぼヒール実践未経験です。1985年の終わりには、一人前のヒールとなって後輩のコンドルの心配をするくらいになります。それまでの1年間毎日ダンプに殴られながら、すべてを吸収していくのでした。

 

当時の様子をブルが語るインタビューがYoutubeに落ちているのでいくつかピックアップしてみます。どれもみなさんご覧になったことがあると思うので、今更感がありますが、一応掲載してきます。

 

ブル中野インタビュー1リンクyoutu.be

 

ブル中野インタビュー2リンクyoutu.be

このインタビュー2は聞き手の女性があまりにバカすぎるのでイライラしますが・・。

 

 

 

ブルを殴るダンプの図

 

 

 

(飛鳥との稽古)

 

 

さらに、ブル著の「金網の青春」から極悪入門時のことを引用してみます。

------------------------------------------------------------------------------

私が入門して2年目の時、ダンプ松本さんから道場に呼ばれた。ダンプさんが私にまともに話しかけてきたのはこれが初めてだった。ダンプさんに

「中野は体が大きいんだから、ベビーフェイスじゃダメなんだ。だからヒールになれ!」 

そう言われた。私はヒールになるのはすごく嫌だった。悪役、なんとなく聞いた感じも悪い。でも大先輩のダンプさんには逆らえない。返事も出来ずに黙っていると、「行くヨ、付いてきな!」そう言われ、社長室に連れていかれた。ダンプさんは社長に、

「社長、中野がどうしてもヒールになりたいっていうんで、極悪同盟に入れます」

そう言った。私はそんなこと一言も言ってないのに・・。でも先輩の言うことは絶対だ。社長は「んー、そうか」その一言だった。

私はその日から全日本女子プロレスのヒールレスラーになった。まさか、自分がヒールになるなんて思ってもみなかった。家族は入門の時、ヒールになるのは反対だから、ヒールにはなるな! そう言っていた。どうしていいか分からないまま、ヒールとしての修行がその日から始まった。私がヒール・極悪同盟入りしたのは、こんな簡単なことだった。

やっとの想いでプロになれたのに、私には本当に夢も希望もなくなった。この頃私は長与千種さんの仕事の手伝いをよくまかされていた。"付き人"として長与さんの荷物を運んだりしていたので、将来は長与千種さんのようなレスラーになりたいと憧れていたのだ。カッコ良くてって人気のあるレスラー、チコさん。新人ならみんなチコさんのような先輩に憧れる。私もその一人だった。それなのにダンプさんの一言で、いとも簡単に私の夢はぶち壊されてしまった。やっとの思いでプロになれたけど、ヒールになるくらいなら、やめたほうがまだましだ!! 何度も考えて会社の社長室の前まで行った。しかし私が"ヒールレスラーにはなりたくない"なんて言っているのがダンプさんの耳に入ったら、あとで何をされるか分からない。とにかく、先輩に逆らうなんて怖くてできなかった。私は社長室のドアをノックすらできず、立ったままだった。最終的には自分の気持ちより、ダンプさんへの恐ろしさの方が大きくて言い出せなかった。

------------------------------------------------------------------------------

 

ブルの話を聞くと、当時の全女の縦社会の厳しさがいかに凄かったのかが分かります。

"松本香=イジメられていた"というイメージが強いのですが、入門して5年目の"ダンプ松本"の頃になると、後輩に対しては絶対的な力を持っていたようです。なにせ試合では凶器攻撃、流血攻撃で、全選手を敵に回していたダンプの誘いを断れば、ベビー側で試合を続けていたら、極悪同盟の集中攻撃を喰らう可能性もあります。ダンプはダンプで、意識しないにせよ、先輩後輩の縦社会の全女イズムが入っていたんでしょう。

 

また、何かの記事で読んだのですが、ダンプが会社から「後輩を一人、極悪同盟に入れても良い」という話がもらい、そのときにダンプの中には2人候補がいた、という記事が書いてありました。おそらく候補の一人は中野恵子で、もう一人の候補は「極悪同盟に入りたい」と言っていた小松美加(ニンニン)なのでは? と思います。「極悪に入りたいニンニン」のほうが説得が楽ですが(中野は嫌がって、一週間も返事を保留したらしいので)、なぜ中野にこだわったのでしょうか。

想像するしかありませんが、ニンニンは痩せていて極悪の感じがありません。中野は上背もあり、太っていたため、体型的に極悪同盟のイメージの印象で選んだのが一つあると思います。

さらに中野は、優等生の小倉と比較されて、先輩たちから無視されていました。しかし「結局は一人で生きていくしかない」という辛抱強さと精神的なタフさがあり、それをダンプは影ながらに見ていた可能性があります。自分と似たような新人時代を過ごしている雑草のような中野こそ、ヒールに相応しい、と思ったのかもしれません。

ちなみにブルの話では、

----新人王戦で小倉に勝った前日も、先輩たちに生活態度が悪いと散々叱られているが、「あのときね、先輩たちが全員帰りかけたときね、アウさんがふと振り返ったんです。で私をみて一言『明日の試合、がんばんなね』って声をかけてくれた」

ダンプも中野のことは、目が素通りできない気になっていた存在だったのかもしれません。

また、ヒールの伝統である「すぐカッとならない冷めた性格」というのも、見極めていた可能性もあります。小松はクラッシュギャルズに似たいトンパチ娘に見えます。中野のほうが冷静だ、という判断なのでしょう。ダンプは他人を見る能力が物凄い長けているので、たぶん人の見立ては当たっていると思います。まず中野ならばヒールとして問題ない、という判断だったのかと思います。

 

 

 

(2023/4/2 追記)

エキサイティングプロレス1985/1月号に中野が極悪同盟に加入した記事がありましたので引用します。

 

 

 

----------------------------

中野恵子が極悪同盟に加入。今まで のイメージを一新して大奮闘だ!!
 

何かと話題の多い全日本女子プロだが、このところ、観客そして総ての選手を敵に回してしまったのが、ダンプ&クレーン の"極悪同盟"だ。
あの、謎の怪覆面マネジャー が謎のまま消えてしまった代役 を、阿部四郎レフェリーが見事に務め、その結束は今や一時の デビル軍団をはるかに上回るほどだ。
そして、ダンプ&クレーンの 共闘の輪に、何と全日本ジュニ ア王者の中野恵子が加わってきたのだ。
中野といえば、9月に同期の 小倉由美を破って新王者になった矢先の、極悪同盟入りということになる。

中野は以前から両親に「もし極悪同盟に入って、髪を染めたりするようになるくらい だったら、女子プロレスを辞め なさい」
と口をすっぱくして言われ続 けてきた。
"パンダ"のニックネームでいかにも、裕福で苦労知らずといった感じが強かった中野だけに、今回の転身は、2年目の壁を突き破る絶好のチャンスでも ある。

山崎五紀が、デビル雅美のも とで成長したように、中野が極 悪同盟で何かをつかめればいが・・。

----------------------------

 

中野のご両親は、口を酸っぱくして「極悪に入るならば、プロレスを辞めろ!」と言われていたようです。

エキサイティングプロレス誌では、「2年目の壁を突き破る絶好のチャンス」と書かれており、やはりプロレス誌らしく、将来を見据えた中野の成長を考えて書かれています。振り返ってみれば、極悪同盟に入ることで中野は大きく飛躍していくので、プロレス誌もきちんと見ていたことになりますね。