
1984年・・・・。
ダンプとユウと阿部四郎がめちゃくちゃ女子プロを盛り上げたのに、何も賞はないんかーい(^^;)
ヒールは辛いぜ、マジだぜ!!
山崎照朝著の「女子プロレス物語」に記載がありましたので引用してみます。
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クラッシュ人気がビューティ人気を超えたと思わせる出来事があった。59年10月5日、全日
本女子プロレスは早くも新春シリーズの前売りを開始した。この種の発売は通常一か月前なのだが、クラッシュ人気の爆発で、さらに一か月早めて売り出した。ところがである。発売の前日から徹夜の長い列が目黒の事務所前にでき、問い合わせ電話が集中し回線はパンク。前売り券はわずか二時間で完売となり営業部をびっくりさせた。「こんなことはビューテイの時でもなかった」と高橋営業部長。このすさまじい人気は暮れのオフを利用した芸能活動をも活気づけた。クラッシュを中心に横田、デビルらのベビーフェイス軍団のオールキャストで行われた「'84ファン感謝の集い」(12月16日、船橋ららぽ―劇場)に、同劇場始まって以来という四千人の観客を集める盛況ぶりだった。
横田が「愛のジャガー」、デビルは「燃えつきるまで」を歌い、クラッシュは新曲を披露した後、ヒット曲「炎の聖書」を熱唱、大声援を浴びた。その熱狂するファンを見て松永社長は「プロレス以外でも活動させ、クラッシュを本物のスーパースターに育てる」と新たな誓いを立てた。
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「ファンの集い」から三日後の19日、全日本女子プロレス30周年、フジテレビ放映10周年を記
念して「女子プロレス大賞受賞式」を行った。出席者300人、パーティーは盛大だった。
「幸せいっぱいです。最高の年でした」
この年、ブームを起こしたスターの座を不動にした飛鳥と千種は感激いっぱいといった表情で招待客に笑顔をふりまいた。その笑顔も「MVP」が告げられると一気に崩れ、うれしさのあまり声を詰まらせた。
「女子プロレスの流れを変える」と革命を宣言して二年。その誓いは見事に達成されたのだ。
ひな壇で「この賞に恥じないよう来年も頑張ります」とホオを紅潮させて語るクラッシュ。WWWA世界シングル、オールパシフィックの王座取りを力強く宣言、「来年は風林火山の年にします」と締めくくった。
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この授賞式、下記の「週刊明星」の記事をみると、ダンプとユウも参加していたのですが、彼女らのコメントは他の雑誌にも書かれていませんね。
この頃には極悪はクラッシュ潰しを目標にしていたので、美味しい食べ物だけ食べて帰ってしまった感じなんでしょうか(^^; 何の賞も受賞していないですし。