1984/12/7 雑誌「ギャルズシティ」 クラッシュ特集

またまたクラッシュ特集です。

 

 

 

 

 

 

本文から引用------------------------------

長与「自分が産まれたのは、長崎県大村市にある漁港。父はゼツタイに男が産まれると信じこんでいたから男モノしか用意してなかったんですョ。名前だって男モンだつたんだから。ところが女だったわけでしよ。あったまきてねぇ。それじや男のように育ててやるって。
けんかで負けてくると2〜3発なぐり返してくるまで家にいれてくれなかった。こんなふうに育っちやつたモンだから自分(千種は自身のコトを自分というのデス)も男だと信じこんじやってね。ところが小学校の入学式のときに赤いランドセルをわたされたわけ。男は黒、女は赤。今まで男、女、関係ナシにきたからショックだったな。どうにかして赤いランドセルを持っていかないようにしようと考えてね、そう、つぶしたわけ。野球のホームベースのかわりに使ってボロポロに……。
親には悪いけど、ハッキリいつてウレシかった。それからショルダーのバツグになったからね。小さいころから男のコにまじって遊んでたわけだけど女のコの人気もケッコーありましたヨ。″強かねぇ″ っていわれると、ついうれしくなって女のコを守っちやうからね。
自分は男女の差別って大嫌いなんですヨ。中学校のころ、そうじの時間にさぼつてたら″オンナのくせに″ っていわれてね。最高にハラがたった。女であるコトは認めるけど女のくせに――このいいかたはないよね。それで相手の男のコをたおしてケガさせたコトがある。そのときから考えかたがガラッと変わったな。

ゼッタイに男より強くなって見くだしてやる。その思いでここまできたんです。でも、自分は女ですから恋もしましたヨ。中2のときにひとつ先輩の人にね。パレンタインデイにチョコをわたそうとドキドキしたもん。自分はソフトボール部のキャプテンをやってたんです。その人はサッカー部で部室がとなりだったわけ。それで「さあ、チョコを渡しにいくぞ!」ときめたとたんに「スイマセン、コレもらってくださいつ」――。まわりは女のコだらけ。うれしい反面ショックだった。だつてこの光景をバツチリその人に見られたからね。結局わたせなかつた。でも、まぁいつしょに花火大会を見にいつたり、いわゆるデイ卜ってヤツしましたヨ。自分がスカート長くするっていえば″ヤメロ″。その人硬派でね、すごくやさしかつた。自分としては両想いのつもりだったんだけど、最終的にはふられちゃった。好きな女のコができたらしくてね。
でも、この世界に入ってはじめて地元でやったときに、驚いたんです。いたんですヨ、アイツが。試合が始まる前、ちらっとうしろをふり返ったらパツと目に入って……アイツが応援にきてたんです。うれしかつた。ホントにうれしかったですよ。でも、ふられたコトを考えて黙ってたら向こうから″元気?″ って声をかけてきてね。そのときはじめてわかったんだけど自分がプロレスラーにならなきゃずっとつきあってたっていうわけ。あのころ、自分はプロレスラーになって男より強くなりたいつてアイツにも話してたから。今はもう恋愛感情はないけど、 一生つきあっていきたいと思ってる。そういえば、プロレスラーになるためにいろいろ苦労したなぁ。中3の中間、期末テストをわざと白紙で提出したりね。高校にいつたらもうこの世界には入れない思ったから必死でしたヨ。どうしてそんなにまで女子プロに? って言われるんだけど、答えはもち男に負けたくないからからだね。」

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本文から引用------------------------------

飛鳥「幼いころの自分をふり返ってみるとイヤァ実にくらいコでしたね。ハツキリいつて″肥満児″だったもの。産まれたときは3800gでね。―才ちがいの姉キも4000gだったし、その当時としては特別デカイつてわけじゃなかったんだけど…。保育園に入って小児結核をやって、入院、退院をくり返しているうちに薬の副作用で太りだしてね(笑)。もうコレがイヤでね。親戚の人なんかはわたしのからだを見てプロレスラーになれ」って。
こんなコトちっちゃいころからいわれてたからよけいに自分が太ってるコトを気にしましたヨ。でも、まあ幼いときはみんな平等だから、からだのコトで仲間はずれにされたってコトはないな。男のコと自転車競走をしながら知らない所へいつたり。遊びといつたらそんなコトばつかり。考えてみると、いわゆる女の子って感じのするコはニガテだったから男の子と一緒にいるほうが多かったし。ケンカもよくやったヨ。
小学校3年生のころの話なんだけど、年下の男の子に泣かされてね。おなかがパンパンにふくらんだカマキリをソイツがつかまえてきて、お腹を半分にちぎって私の自転車になすりつけたわけ。あのときは、さすがに気持ちが悪くてコワクて困っちゃった。それでも泣きながら追っかけまわしたからケッコー根性があったのかもしれない。泣くっていったら悔し涙ばっかりだった。それ以外はまずないな。そういえば小学校―年のときもくやし涙を流したなぁ。わたしの両親って離婚したから父親っていないんですヨ。父親
がいないからって気にしたコトはないんだけど、図工の時間にお父さんの職業の絵を描くことになってね。お父さんがいないから、わからないし描けない―くやしくってね、
結局泣いてしまつたんだけど、先生に「お母さんの絵でいいヨ」っていわれて5分間で母親の絵を描いたのをおぼえてる。お母さんは看護婦をやってるから、アノときの絵も注射器を持ったところを描いたんデス。カギッコ。ということでさみしい思いをしたコトはない。

お母さんはわたしたちのために働いてくれるんだし。それよりもからだのコトでさみしい経験をしてきましたネ。小学校4~5年になると男の子も"デブ"ってハッキリいうでしょ。あぁ暗いっ。小学校6年で身長163センチ、体重は80キロもあつたのヨ。からかわれるのがイヤで体育の時間はゼッタイにブルマーをはかなかつた。ジーバンの半ズボンでとおしたの。先生におこられても「ブルマーを忘れた」つてゴマかしてね。ホント、からだがデカイことでトクしたことっていちどもない。ちようどそのころテレビでビユーテイベアの試合を見たんですヨ。ガーンときたなぁ。だって自分はドンドン暗くなるいっぼうなのにあの人たちはアノからだを武器にしてキラキラ輝いているわけでしょ。はじめはあこがれて、それからプロレスラーになりたいと思うようになり、そのうちにならなくちゃダメだと考えてね。このまま落ちこむのはイヤだったんです。いちど思ったら徹底的にヤルほうだから一か月で20キロ減量に成功した。食べずにひたすら.運動してね。人間、根性だすとケッコーがんばれるヨ。もちろん念願かなってプロ入りしたからといってコレで終わったわけじゃない。勝負はこれからですよ!」

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