1985/1/24発売の「週刊ビッグレスラー」に記事がありましたので引用します。
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昨年9月13日にライバル小倉由 美を撃破して念願の全日本ジュニ ア王座を獲得した中野の初防衛戦 の相手は小松美加。 2人は同期と いう間柄でありながら中野は一昨 年の、小松は昨年の新人王。遅れをとっている小松としてはタイト ル奪取できなくても善戦すること によって一歩でも中野との距離を 縮めておきたいところ。
小松は挑戦者らしく正統的なテ クニックで攻めるが体格の差は如何ともし難い。 ラフ殺法を主体としながらも時折キラリと光ったテクニックを駆使する中野の前に悪戦苦闘。圧倒的な"ミカ"コール を浴びて大技を連発したが、 スタ ミナ切れで中野の前に屈した。 善 戦はしたものの中野の壁はまだ厚 いということを感じさせた。
一方初防衛に成功した中野は着着と次代のスターの座に近づきつつある。 極悪同盟入りしてから急成長、第2のデビルとなることも 夢ではなくなってきた。
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すでに極悪入りした中野が全日本ジュニア王座の防衛を1985/1/5に果たしています。
まだ「ブル中野」というリングネームはなく、ポマードを塗ったような髪型に若干のメイクで挑んでいます。中野のというところの中途半端な時代です。
ライバルの小倉と争い、極悪としてすでにメインにも登場しつつある中野ですから、小松との差が付き始めています。圧勝だったようです。
小松はヒール入りしてもよいと考えていたようですが、ダンプは「ヒール=デブ」と考えていたようで、小松を選びませんでした。その後は坂本、仲前といった体格の良い選手を極悪入りさせていきます。これは後に没個性と化していくので、よかったのかは微妙です。コンドルだけはメイク師ということで痩せていても入れたのかもしれません。
なお、この試合は試合後にダンプが中野に平手打ちをしたという話があります。
青春革命という本にあります。
記者「以前後楽園の試合だったと思うんですが、ブル中野対小松美加戦で勝ってレフェリーと一緒に手を挙げている中野さんのところに寄ってきて、ダンプさんが平手打ちをバシッ!と一発喰らわせて、引き上げていったんですが、あれはどうしてだったんですか?」
ダンプ「自分が言ったように試合をしてねぇからだよ。ただ勝てばいいってもんじゃないんだよ。勝つことは最大の目標だ、極悪同盟は勝つための手段は選ばない。そうやって中野には教えてきたよ。けれどその手段の中に、極悪流ってもんがあるんだ。あの平手打ちの理由が中野に分かれば、まんざらでもないけど・・」