1985/2/21の週刊ゴングに、中野恵子がレフェリーで登場したという記事があります。
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昨年の暮れに極悪同盟入りを果たした中野恵子は、まだキャリアが浅いにもかかわらず、やることは大胆だ。
これまでは極悪同盟が登場する試合では、悪党レフェリーとして名高い阿部四郎が悪に加担していたのだが、1月26日の竹原市大会では中野恵子がその役を買って出たのである。
第4試合として行なわれ た6人タッグマッチ30分1本勝負、ジャンボ 堀、立野記代、山崎五紀組 対 ダンプ 松本、クレーン・ ユウ、ロッシー・ モレノ組の試合にレフェリーとして登場した中野は、もちろん極悪組に協力してのレフェリングで、極悪ぶりを存分に発揮した。
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ブルの性格からして、「試合をせずに、自分からレフェリーを買って出る」なんてことはないと思うんですよね。
さて、ここからは想像です。
ブルが半刈りにされてしまうのは、おそらく2/4の有田大会となります(もしくは2/2の諫早大会)。また、1/26の時点では「ブル中野」というリングネームもついていないことが分かります。
(「ブル中野」というリングネームが付いた日も、本当に2/4の有田大会なのか、情報が色々と散見されるので、よく分からないのですが・・)
ブル著の「金網の青春」によると、この時期のブルは「とある男の人が好きになり、三禁を破りそうになっている」と書かれており、ヒールとして非常に中途半端な状態が続いていたと思われます。
仕事に対して厳しいダンプのことですから、松永社長に「ぐすぐずしている中野に、一度レフェリーをさせて叩きなおす」と進言したのではないかなぁと思うのですが、どうでしょうかね(^^;
ダンプはなんとしても、中野をヒールとして一人前にさせたかったはずです。なので、1985年初頭から、見た目を化粧でキツネ目に吊り上げたりして、どんどんワル色に染めています。
ところがワル色に染まらない中野に対して、この大会では手荒い激励として、レフェリーをさせてもおかしくない感じです。同期の小倉たちがいる前で、ジャージ姿でレフェリーをするのは、効くかもしれません。ダンプの愛のムチなんじゃないかと勝手に想像してしまいます。
しかし、中野はレフェリー役しても、まだ踏ん切りがつきません。こうなってはダンプは困ったでしょう。そして、いよいよダンプの堪忍袋の緒が切れて、「中野を半刈りにする」という超荒業に出たのではないかと想像します。
もちろん、「たまたまこの大会ではカードが組まれなかった」、「阿部四郎が急用で出場できなかった」という可能性も高いですが(^^;
→その後調べたら、クレーン・ユウもこの頃からレフェリー役をやっているので、単に試合から外れた可能性が高いです。(2023/1/18追記(
この大会、大森ゆかりvsラ・ギャラクティカのWWWAのベルト前哨戦みたいな試合もあり、そのレフェリーも中野が務めています。中野は大森の邪魔をしまくって、ラ・ギャラクティカを勝利に導く極悪ぶりを発揮したようです。
ダンプは、ヒールとして踏ん切りがつかない中野に対して、この時期、色んな手を使って本気にさせようと必死だったのではないかと思います。あくまで想像てすが・・。