1985/1/9 古河市体育館 ダンプ・ギャラクティカvsクラッシュギャルズ

この試合も残念ながらYoutubeに動画がないため、山崎照朝さん著の「女子プロレス物語」より引用します。

(この本、何度も書いていますが脚色が多いので、大げさに書いている部分もあります)

 

 

----------------------------

「クラッシュのベルトは必ずいただく」
ダンプ松本は60年の年頭に″クラッシュ潰し″を堂々宣言した。それはクラッシュの″風林火山″宣言を受けての極悪の全面戦争布告だった。60年は″悪の年″となるが、開幕リーグでクラッシュを鮮血に染めた極悪の暴走は、地方会場へ移ってもゆるむことがなかった。
横田と私怨を深めるギャラクティカを仲間に加え、阿部レフェリー、覆面マネジャーと結束を固め、軍団を総動員して凶器攻撃をエスカレート、クラッシュ包囲網を縮めていった。

 

開幕のリングから4日目の1月9日、茨城県古河市立体育館で再びダンプと激突したクラッシュが、 ついにダンプの包囲網にはまって1-2で敗れる波乱が起きた。ダンプはギャラクティカと組んで、ユウ、中野までリングに引き入れ、やりたい放題の凶器攻撃でクラッシュに襲いかかったのだ。60分3本勝負の1本目、大乱戦の中でフォール負けしたクラッシュは2本目を得意技の連発でタイにこぎつける。だが3本日はダンプの再度の総動員令がかかる。クラッシュを場外に誘い極悪メンバーが入れかわり立ちかわり襲いかかる。この軍団の援護を受けたダンプは千種を本部席の机にクサリでしばり、素早くリングに帰った。戻ろうとする飛鳥をユウがエプロンに仁王立ちして阻止。ついにクラ
ッシュはリングアウト負けとなったのだ。

「反則じゃないか」とアピールするクラッシュ。だが、阿部レフェリーの裁定は覆らなかった。
 

リング下からエプロンのマットを両手でタタいて悔しがるクラッシュ。山崎・立野の19歳コンビを倒し、ホッとしたのもつかの間、次回防衛戦の相手にダンプ・ユウ組が名乗りをあげていただけに、絶対に勝ちたい一戦だったのだ。
 

「どんな手段を使ってもベルトを取る」とほえるダンプ。クラッシュが「風林火山」の旗をなびかせれば、ダンプは「極悪同盟」の旗を持ち出して対抗し、クラッシュにピタリと照準を合わせていただけに、この一戦の敗退はクラッシュに不吉な予感を与えたのである。
 

そして、この両軍団の抗争のとばっちりをモロに受けた選手がいた。二冠の女王・ジャガー横田である。「もうウチらが出る幕はなくなった」と、かねてからの念願だったメキショ遠征を決意。クラッシュ×極悪の抗争激化をシリ目に次期シリーズの開幕を待たず、三カ月間のメキシコ単独サーキットに飛び出していった。

----------------------------

 

2/25のWWWAタッグ選手権に向けての前哨戦ともいえる試合、極悪同盟の集団戦法が徐々に定着してきます。どんな手を使ってもチャンピオンベルトを獲ろうというダンプの意気込みが伝わってきますね。