1985/1/15 ムック「おもいっきり女子プロレス」発刊 恒文社 その①

1985年以降、クラッシュギャルズ人気とともに、大量の女子プロレスのムックが発売されますが、初期のものの一つです。

 

 

例によって極悪同盟のみ見ていきます。

 

 

まずは選手紹介欄から。

①本名②生年月日③出身地④身長⑤体重⑥得意技

 

[ダンプ松本]

① 松本香② 昭和35年11月11日③ 埼玉県熊谷市④164⑤100⑥ ラリアット パイルドライバー、ヒップドロップ
高校時代からジャッキー佐藤の熱烈なファンで、水泳やアーチェリーで全国大会に出場するほどのスポーツ万能?選手だった。
女子プロレスの新人オーディションやプロテストを何度も受けたが、いずれも不合格。 一時はレスラーを断念し、事務所の営業部で宣伝カーを運転していたが、55年5月、2グルーブ分断興行のため入門が認められて待望のレスラーの仲間入り。
ユーモラスな巨体で前座の.人気者となったが、練習鎌いなためユウとともに万年前座。
デビル雅美率いるデビル軍団に属したがチャンスに恵まれず中途半端なヒールに終わるところだった。
だが59年に入ると、髪を金髪に染め不気味なメイクで大変身。突如として、デビルを裏切リユウと"極悪同盟"を結成。汚職・阿部レフェリーと仕組み、リングで無法の限りを尽くしており、クラッシュの対抗馬として浮上

[クレーン・ユウ]
①本庄ゆかり②昭和37年10月31日③東京都北区④173⑤100⑥ フロント・プロックバスター、ボディアタック、ダイビング・ギロチンドロップ
ビューティ・ペアのファンとして観戦を続けていくうちに、女子レスラーをめざすようになり、新人オーディションや、プロテストにアタックを続けたが毎回不合格。
しかし、ユウの立派な体格を生かしたい松永社長の考慮もあり、55年の2グループ制を機に入門が許可され同年8月に夢にまでみたデビュー。
当時は、池下ユミを首領とするブラック軍団に入り、悪の修行を績み重ねる。池下引退後は、デビル雅美のデビル軍団に引き継がれた。
57年1月に、覆面を着けマスクド・ユウと名乗る。巨漢を利用した肉弾パワーでデビルのパートナーに抜テキされたが、元来のムラッ気でチャンスをフイにすること数度。
落ちこばれのラク印を押されだユウだが、同志の松本と"極悪同盟"を組み女子プロ界に反逆し生き返ったのである。公私どもにヒールがユウの信条?でもあるのだ

[中野恵子]
① 本名同じ② 昭和43年1月8日③埼玉県川国市出身④170⑤80⑥ ボディ・アタック、ショルダースルー・ドロップ
中学1年で新人オーディションに応募し合格。卒業までの間は、クラブで水泳や柔道を習い、卒業と同時に入門した。
58年9月、戸田でデビュー。同期の中では、ズバ抜けた肉体を武器に新人王戦では小倉に圧勝。59年3月ジュニア争奪戦では負けたものの、同年9月の再戦では苦戦ながらも王座を奪取した。小倉とは周囲から、ラィバルとして見られているため緊張感のある展開を続けており、最近ではダンプ&クレーンの「極悪同盟」に加入の動きもあり、タッグで出場したり、セコンドにぴたり付きそっているのだ。
そのためか、中野も独特のメイクで登場するため、他の選手のひんじゅくを買っている。本人としても迷いがあり、 一日も早く方向性を発見しなくてはならない。
パンダのニックネームで、現代っ子らしくマイベース。シェイプアップすることが課題である。

 

 

ちなみにこんなマンガも掲載されています。

 

 

 

1985年初頭の時点で、すでにダンプをイジりまくってます。

この頃はダンプ自身も、本気で悪に徹していた頃のはずです。

それなのに・・・やっぱりこうなってしまうのが不思議なんですね。

体型からくるユーモラスさ、愛嬌が残ってることの証明です。

先にもあとにも、最凶ヒールといわれる一方で、ギャグ化してもなお絵になるヒールは、ダンプ松本しかいないと思います。

 

池下ユミもマミ熊野も、デビルもブルも、こんなことは出来ないだろうし、強いて言うとアジャ? はできるかもしれないけど、時代的にこういうのがあったんですかね。