
1985/2/26の週刊プロレスに、ブル半ハゲに関する写真が掲載されました。
さすがプロレス雑誌だけあり、真っ先にブルの半分刈り上げた勇気を讃えています。
引用してみます。
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長い地方ロードがつづく女子プ ロレス軍団。3日間休みなしの強行巡業は、折り返し地点である九州・佐賀サーキットにやってきた。「一日も早く東京に帰りたい・・・」 これは、全選手のいつわりのない 気持ちだろう。
"マンネリ打破"を胸に秘め、各 地を転戦しているが、このロードは充電と呼ぶには、あまりにも辛く厳しい。
会場入りすると同時に、各自は思い思いのトレーニングで汗を流 し、黙々と自己と闘い続ける。そこには、大都市圏で彼女らがファンに迎えられる華やかさはない。 あるとすれば、精神力と忍耐力の持続のみだ。
飛鳥と千種は、力いっぱいサンドバッグを蹴り上げる。だが、さすがに長旅のせいか、疲れの色は隠せない。
同じ顔ぶれで、同じ宿に泊まり練習と試合と移動の、果てしない 毎日・・・。これは、体験した者でし かわからない生活だ。
そして、この長い長い旅は時と して、新しい力を発見できる。誰もが、苦しく重い毎日を過ごし、 雑草の根強さを蓄積していくのだ。 2月4日・有田、5日・唐津の 試合はTV中継が行われ、まずまずの観客動員を示した。九州地区でも、クラッシュの人気はゆるやかだが確実に浸透している。
クラッシュvs極悪の抗争ストーリーも、リフレッシュしなくては ならない時がやってきた。
すでに極悪同盟入りしていた、 中野恵子が有田大会から"ブル中野"と改名した。ブルとは、ブルドーザーの略である。
ダンプ、クレーン、ブルと出揃 った起重機パワーは以前にも増して、強烈なインパクトを与えるには十分だ。
髪を半分刈り上げたパンク・ヘアは、若い中野にとって、思い切った変身である。中野よ、地方ロ ードの苦しさをバネにしろ!
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ダンプ、ブル、阿部四郎、ザ・ベートーベン。この頃からユウは少しずつフェードアウト気味です。
「これが変身"ブル中野"だ。額の傷が試練を物語っている。」
ブルの半刈りスタイルは、2/4の有田大会と記載されています。
以前に下記のブログで記載しましたが、2/2の諫早でダンプに半刈りにされ、2/4のテレビ放送で「ブル中野」または「ブル恵子」というリングネームが検討されていたようです。
額の絆創膏は、試合のケガなのか、バリカンで刈ったときに血を吹いたのか気になります(^^;
続いて1984年のプロレス大賞の記事。
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女子プロレスの今年の忘年会は この上なく盛大なものだった。 12 月1日、東京・品川駅前の「ホテ ルパシフィック」1階「萬葉の間」 で催されたパーティーには関係者約300人が出席し、女子プロレ スの発展を祝した。
注目の「'84全日本女子プロレス大賞」に選ばれたのは予想通り、 クラッシュ・ギャルズ。壇上に立 ったライオネス飛鳥と長与千種は トロフィーと賞状を受け取ると、 まず長与がマイクを手にして受賞 の感想を述べた。
「私が今日あるのは、トミー青山 さんのおかげです......」
長与の口から突然、トミー青山 の名が出た。だが残念ながら、ほとんどの出席者は何のことやらサ ッパリ理解できなかったに違いな い。トミー青山といっても、ビュ ーティ・ペアほどのネームバリューはない。知る人ぞ知る名レスラ ー、トミーは4年前の55年8月、 膝の負傷のため、わずか3年でリングを去った。引退したトミーはその後、結婚し、2児の母「宮本千賀子」になった。
プロのなら記憶しているだろう・・・No.61のカラー・グラビアでクラッシュの2人と記念写真に収まったトミーの現在の姿を。そ のトミーの姿が、ごったがえす来 客にまじって見つけられた。
しかし、会場にトミーが来てい ようといまいと、 長与はトミーの 名を口にしたと思われる。
「空手をやっていて自信のあった 私は入門した頃、受け身ばかりやらされて、くさっていた。巡業の メンバーからも外される。 そんな私に手を差しのべてくれたのが先のトミーさんだった・・・・」
公の席で後輩の長与に、そう呼 びかけられたトミーに「あの頃、 誰一人、長与に期待していなかったですよね?」 と同意を求めたのだが・・・。
「そうかもしれない。だけど、あ の子の質を私は見抜いていたし レスリング・センスも認めていた。 だから試合場に来ていないと(合宿所に残り) "どうしたのかな" と、いつも気にかけていたのよ」 淡々としたトミーの口調に気負いいは感じられない。 今、 長与が光を浴びるようになったから、そう言うのではなく「こうなるのを、 私はわかっていた」と、その目は 語っていた。
帰り際、長与が記者に耳打ちした。「今日、トミーさんが来てくれたのが一番嬉しかった!」
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84年度の女子プロレス大賞は以前にも記載しましたが、詳しくは、
・最優秀選手賞 クラッシュギャルズ
・技能賞 デビル雅美
・敢闘賞 山崎五紀
・ホープ賞 小倉由美
・最高試合賞 ジャガー横田
・新人賞 加藤悦子
となっています。
全員ベビーフェイス!!
デビルと山崎は2月からのベビー転向ですが。
84年を盛り上げたのは、誰か? そりゃ、誰がどう見てもクラッシュと極悪です。
また、1985年1月号のエキサイティングプロレスには、EP誌が選考した賞が掲載されています。
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'84 女子プロ大賞
昨年からスタートした女子プロ レス大賞。今年は、女子プロレス発足30周年記念ということもあって、かなり大きな規模で行われることになった。
選考方法は、各マスコミによる 投票で1位3点、2位2点、3位 1点。最高得票者が選出されるととになっている。
そこで、わがエキサイティングプロレスが選んだ各賞は
▽MVP
1位 山崎五紀
2位 クラッシュ・ギャルズ
3位 ダンプ松本
▽敢闘賞
1位 デビル雅美
2位 ダンプ松本
3位 ジャンボ堀
▽技能賞
1位 ジャガー横田
2位 長与千種
3位 山崎五紀
▽努力賞
1位 立野記代
2位 大森ゆかり
3位 ライオネス飛鳥
▽アイドル賞
1位 クラッシュ・ギャルズ
2位 小倉由美
3位 加藤悦子
▽ベストバウト賞
1位 ジャンボ堀vsライオネス飛鳥(大宮大会)
2位 ダイナマイト・ギャルズ vs クラッシュ・ギャルズ(後楽園ホ ール)
3位 ジャガー横田&デビル雅美 vs クラッシュ・ギャルズ(川崎市 体育館)
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EP誌のMVPが山崎になっているのは、いまひとつ納得できずですが、編集部に山崎ファンが多かったのかなぁ。
「極悪同盟は出席したものの、さすがに白け切っていた。特別功労賞を贈りたいところだが・・」
極悪勢ぞろいの写真です。ダンプはギンガムチェック風のジャケット、ユウはOLのスーツ風、中野は全身白でまとめている感じでしょうか。ダンプだけサングラスでヒールを演出しています。この時期は徹底しています。
全女はヒールには賞を取らせないということで露骨です。ぶるちゃんねるで、「ヒールは優秀賞やベストバウトは取れない」とダンプが話していました。ダンプは86年にプロモーター賞しかもらえませんでした。
流れを変えたのは、この時に半刈りにされたブルになります。数年悔しい思いをしたブルは「ヒールでもベストバウトが取れる」ことを認めさせたわけです。ダンプの無念はブルによって晴らされることになります。このとき1984年。まだずっと先の話ですが。