1985/2/25 WWWA世界タッグ 雑誌記事④ 週刊プロレス1985/3月

その④です。週刊プロレスにも2/25のWWWA世界タッグが特集されていましたので掲載しておきます。

 

 

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この日、試合前に「フジテレビ杯 争奪ジャパン・グランプリ」のカ ードの一部が発表され、ライオネス飛鳥 - 長与千種のクラッシュ・ ギャルズ対決が4月2日、名古屋・ 愛知県体育館で実現すると正式に決定した(本誌先週号既報)。
ところが、わずか3時間後、名古屋決戦のカードは、あっさりと極悪同盟ークラッシュのWWWAタッグ・リターンマッチに変更となった。つまり、極悪同盟はクラッシュ対決という最高のドリームマッチを吹き飛ばしてしまったの だ。むろん、クラッシュ対決は必ずどこかで行われるが・・・。

 

試合は「勝っても負けてもハッ キリとした決着を!」というクラ ッシュの願いも空しく、またしても決勝ラウンドは不可解な判定にもかかわらず、タイトルは移動した。あの覆面マネジャーがメインレフェリーのジミー加山を場外に投げ飛ばす間に、ダンプが長与をラリアートの3連発でフォール。長与の足はロープの外に出ていたが、リングに入ったサブレフェリーの阿部四郎は3カウントを数えた。いわば、疑惑の3カウントで クラッシュは悪夢を見た。 

 

「ひとつだけ言わせてください。 ドロ沼に落ちても、風林火山の精神で這い上がりたい。自分達に大きな課題が与えられたと、いいように解釈して頑張ります・・・」 と語るクラッシュ。問題点が一挙に噴き出した感のある王座交代劇に、ファンの憤りもまた大きい。

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少し拡大してみます。

 

長与の仕掛けたジャーマンスープレックスは「あんなに重たく感じたことはなかった」(試合の話)というユウのウエート(100kg)を支えきれず、腕がスッポ抜けた!

 

確かに2本目の長与のジャーマンは途中ですっぽ抜けてバックドロップのようになっていました。

しかし、その後の怒涛の攻めで「マットに叩きつけられた勢いで後方に1回転したユウは白目をむいた!!」とあるように、2本目の攻撃はかなりユウには効いたみたいです。

 

 

試合後の控室で、治療の済んだ傷口を見せる"敗者"クラッシュ。

 

長与はかなり血だらけでしたが、左のおでこの上を一か所ハサミで切られた感じなんですかね。