クラッシュギャルズ人気の只中、極悪同盟も雑誌に取り上げられていきます。
ダンプとクレーンのロングインタビューがあり、撮影にも気合が入っています。
悪行のかぎりをつくす憎っくきプロレスラー、その名はダンプ松本とクレーン・ユウの極悪コンビ。
悪役に自ら希望してなっただけのことはあり、クラッシュギャルズをいためつけるシーンは迫力満点。
"死ね"といわれるたびにファイトがわいてくるというふたりに命を賭けてのインタビュー。さて、どんな話が飛び出すか!!
取材にあたりスタイリトやらヘアメイクと書かれており、最初のページも血が滴る絵巻物みたいな雰囲気で、本格的なインタビュー記事です。
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妹はライオネス飛鳥のファン。母は長与千種の大ァンなんです。
笑っちゃいますね。
プロレスラーって、ホント、 自分にあってると思う。なんたって小さいころからオテンバだったからね。 いっしょになって遊ぶのは決まって男のコ。だからいわゆるカワイコちゃんのする"おままゴト"なんかはしなかった。わたしがよくやったのはカエル取り。コレをつかまえたら皮をベリベリッてむくの。そんで足に糸をつけてザリガニをつかまえる。 これが楽しくてねぇ。 今は気持ちがわるくてさわることもできないケドね。
そんな私だからプロレスラーになったのは格闘技が好きだからだと思うでしょ。 もちろんそれもある。でもホントにこの世界に入りたいと思ったのは違う理由からなんだ。 みんな笑うかもしれないケド、 わたし、ジャッキー佐藤が好きでねぇ、高校生のころ、おっかけをしてたの。 ハッピ着て サ、地方にもついて回った。だからホントの理由はジャッキーさんの近くにいきたい。 それなの。だってかっこよかったもん。なんといっても悪役にいじめられているのにがんばる姿・・・ これはステキだったよ(笑)。
それからは会いたい一心で社長に手紙を出したり、"わたしはプロレスラーになりたいんです"という声をふきこんだテープを 送ったり・・・・・・。 でも結果はペケ。そんなことをしているうちに高3になって、就職し なくちゃならない時期がきたんだ。
プロレスラーになりたい。でも、またオ ーディションに落ちたら......。そう考えてパン製造工場にいくことにしたんだ。 お菓子や料理をつくるのも好きだったからね。 でもあきらめ半分で受けたオーディションが受かってねぇ、 内定してたパン工場をけっちゃったんだ。
"あこがれのジャッキーさんのそばにいける" そう思って入ったから、はじめのころは ジャッキーさんが着がえている姿なんてみれなかった。彼女がブラジャーをしているだけでギャーギャー叫んでたよ。
うちらのときはね、ベビーフェイスになるか、悪役になるかを選べたんだ。 ジャッキーさんのファンということもあってはじめはベビーフェイスのほうになろうかとも考えた。 でもベビーフェイスは外人選手と戦わなくてはならない。 外人レスラーは怖いですからね、あんな怖い人と戦うくらい なら悪役になったほうがまだまし・・・そう 考えてすすんでヒールになったんだ。
しかしすすんで悪役になったわけだけど、ファンの罵声はスゴイ! “オマエを殺す" とかカミソリを送られたとか、自転車をパンクされたこともあった。 まぁ逆にうれしいけどね。それだけ悪役になりきっているってことでしょ? がんばろうと思うよ。 ただ、自分はなんていわれてもいいんだけど親がかわいそうでね。そうそう、うちはおかしなコトに3つ違いの妹はライオネス飛鳥のファン、お母さんは長与千種のファンなんだ。だから"なんてヒドイコトを" っていわれるよ。ま、これも仕事だからね。 うちらがヒドイことをすればするほどクラッシュギャルズをひきたてることになるんだし、またそれによってうちらも浮き上がることになるんだからね。
だからクラッシュに対しては徹底的につぶしてやるって気持ちがあるんだ。 レスリングができないからだにしてふる里に帰らせるぞってね(笑)。
まだ悪役になりきれてなかったころは人気なんて全然なかった。 やっぱ人気がでたのは髪を染めて極悪メイクをしだしてから。 でも、この化粧は自分でも怖いと思うよ。 鏡で自分の顔を写すと“ウワァッコワイ" って思うもん。化粧をすると人格が変わるんだ。今日はどの手で暴れようかってね。
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ダンプは顔芸もしっかりやってますね。手錠を使った写真も効果的です。
続いてはクレーン。クレーンのインタビューはあまりないので貴重です。
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去年、試合中に父が死んだんです。
試合直後に知らせを聞いて、その場で泣きくずれました。
わたしかこの世界にはいった理由?
ふつうの人とおなじ道を歩みたくなかったからだね。 中学卒業して、高校はいって、フツーのOLとかをやって結婚して・・・こういうのがイヤだった。 一度きりの人生ならふつうの人ができないことをやってやろうと思ったんだ。
それに、なによりも学校がきらいだったんだ。 いわゆる不良ってやつだったからね、1週間に3日学校にいけばいいほうだった。 なにしろ高校では商業科にはいったもんだから簿記とかあるわけ。 そろばんはじくのってめんどくさくてねぇ、しょっちゅう友だちの家にいっては昼間っからドンチャン
さわぎしてたよ。また、こういうコトばかりしてたから学校の先生に目をつけられて、なにか悪いコトが起きるとわたしのせいになる。頭にくるよ、早く高校をやめたい・・・それだけだったね。
だからプロレスのオーディション受かったときは、 最高だった。500人以上の人が受けて合格するのは7人。この難関を突破したんだからうれしかったね。もちろん高1で中退するということについての悔いはなかった。 プロレスラーになれなくてもあの調子じゃいつか学校をやめてたと思う。 こんなわけでひとり舞いあがってたわけだけど、まわりの反対はスゴかった。"女のコなんだから"ってね。 でもその中でただひとり応援してくれたひとがいるんだ。それはお父さん。"やるんだったら徹底的にやれ"。このコトバは今でもハッキリおぼえてるよ。
まわりの反対を押しきって入ったこの世界。入ってつくづく思ったのは"なんてキビ シイ世界なんだろう"ってこと。 今までわたしがテレビで見ていたプロレス界は華やかさしかなかったからね。 現実は天と地くらいの差。先輩には絶対服従。地方にいけば先輩たちのご飯をよそわなくちゃいけない。なんでもハイといわなくちゃいけない。そのうえ練習がキツイでしょ、地獄だった。
新人のころ20日間の旅というのがあって、先輩たちについていったんだけど、こんな 調子だから85キロあった体重が、戻ってきたら72キロになってた。疲れるし、練習は怖いし、先輩はキツイし毎日毎日泣いてたよ。 やめたいとも思った。 でも大見栄きって家を出てきたんだからやめられなかっ た。それに応援してくれたお父さんのことを思うとね・・・。
そのお父さんが死んだのはおととしの9月。肝硬変と肝臓ガンが併発したんだ。 その日は栃木県の足利市で試合をしていた。なぜか朝から家に帰りたくってね、試合中も胸騒ぎの連続で、試合が終わったとたんに家に電話をかけたんだ。そしたら"パパ、死んじゃったよ" "・・・・・・ウッソー"
そのまま受話器をにぎりしめて泣き崩れた。 お父さんが死んだのはちょうどわたしの試合が始まったときらしいんだ。 信じられなかった。ただひとりわたしのことを応援してくれたお父さんが死ぬなんて!!!
頭がボーッとしたまま、なんとか家にたどりついたんだ。玄関からお線香のにおい・・・"あぁホントに死んじゃったんだ"。そのときはじめて現実にひきもどされた。
今の夢はクラッシュをたおすこと。どんなにまわりからののしられてもかまわない。 自分で悪役を選んだんだからね、それにお父さんの"徹底してやれ"というコトバを胸に抱いてがんばってる。だから“死ねっ!!" といわれるたびにこんなに悪役に徹することができたんだと思ってウレシクなるんだ。
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クレーンのお父さんの話はちょこちょこ出てくるんですが、「一昨年の9月」とあるので、1983年の9月の足利市体育館での試合の日にお父さんが亡くなったようです。「極悪物語」と書いてますが、本当に壮絶な物語ですね・・。(^^;
一瞬のスキをカメラマンに撮られたのか、ご要望にお応えしたのか、珍しく笑顔で掲載されています。このダンプとクレーンの笑顔って、ファンを挑発するときの笑い顔とも違いますし、珍しい写真かもしれません。