1985/3 雑誌「月刊明星」ダンプ松本特集 気に食わねぇ奴は傷つける!!

1985年3月号の月刊明星にダンプが特集されたので、引用してみます。

 

 

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This is ダンプ松本

気にくわねェ奴を傷つける。 プロレスに理性は必要ないさっ!!
161cm・100kg。この大きな体と凶器を使い、“クラッシュつぶし”に燃える彼女 21才。果たして根っからのワルなんだろーか!? とりあえず会ってみた。
 

待ち合わせ場所は、 目黒にある全日本女子プロレスの事務所。 HONDAリードSSにまたがり、ダダダダッと、5分遅れてダンプが やってきた。化粧っけのないその顔は、キララッと輝く金髪がなかったら、誰だかまったくわからないくらい、かあゆい女の子? 「ちょっとお化粧してきます。 もう少し待ってて下さいねっ」 そう言って化粧室に入っていく彼女を見送りながら、「なあんだ、 けっこう感じのいい人じゃないか」
・・・と思ったのも束の間、 化粧室から出てきたときには、 顔だけで なく、言葉遣いも性格も、豹変してたのだった!
 

悪役にヤラれっのが怖いから悪役やってる
 

「こっちきなっ」 と、 連れてかれたところは、リングのある練習 場。「は、話をおうかがいしたいだけで、べ、 べつに技を見せてくれとか、そういうことじゃ...ない...」 などとうろたえてると、「ここが一番落ちつくんだよっ」とひと言。 ジャリッッ! 壁をチェーンでぶったたいた後、ひとりごとでも言うかのように、ボソッ、 ボソッとしゃべりはじめた。
 

「こないだは、このチェーンで、 飛鳥の肩の肉はいでやった。 白い骨が見えてたよ。 その前は大阪だったかな? "ヘラヘラ歌なんかう たいやがって"って、 ムカッ腹たったから、 うたってる最中に、ハサミでブスッと、 どたま刺してやった。 これも飛鳥だった。 何針か縫ったらしいけど、 まだまだ痛め足りないね。 客がアイツらのことを、チヤホヤすればする ほど "テメェらの好きな奴をメチャメチャに してやるっ"って、燃えるんだっ」
 

そしてどこからか金箔の竹刀を持ってきて、さらに言葉を続けた。 「これ、 新しい凶器。 今度はこれで、体じゅう青アザ作ってやろ うかと思ってね、 アハハ。 あと、 ムチも手に入れたし。 歌舞伎町 の大人のおもちゃ屋にまで買いに行ったんだ。 めいっぱい使ってやらなくっちゃな。 あー、ワクワクする」 そして、まるで獲物でも 見るような目でこちらをニラム。 こちらはこちらで、 「デビル雅美さんに教わったそうですね、そのお化粧。 とってもステキです」 と、 ただひたすら、 ヨイショッ!! ところが、
「あんだってェ、 デビル雅美ィ?テメェ、ロン中にこの竹刀つ っこまれたくなかったら、 二度とその名まえ、アタシの前で言う んじゃないよっ。 "正統派転向宣言" か何か知らないけど、 アイツ は裏切りものだ。 今ごろ、いい子ちゃんぶりやがって・・・」
と、逆に激怒させてしまった。

これではなかなか話にならないので、とにかく拝み倒して、再び化粧を落としてもらうことにした。以下、化粧を落としてから話して くれた、"ダンプ松本ストーリー・悪への道" 聞いてやって下さい。
「プロレスやりたいと思ったのは、もうホント幼い頃。 自分じゃ 覚えてないんだけど、"力道山"か何かをテレビで見て、"あたちも おっきくなったら、ああいうふうになるんだ"っていつも言って たらしい・・・。 小学校ン時はそんなことすっかり忘れて、 カエルの 足ひきちぎってザリガニ取りしたり、カエルのおしりにストロー つっこんでふくらまして遊んだり・・・。 狂暴性はこの頃からあったみたいだね。 中学校の思い出といえば、水泳で全国大会に出たこ とと、スタ誕と"ニューヤンキーズ"のオーディションを受けたこと。 もちろん、 両方とも1発で落ちたケドね (飛鳥はニューヤ ンキーズに合格している)。 そして高校時代! 燃えたねェ、ジャッ キー佐藤さんに・・・。 ハッピ着て追っかけやってたくらいだからね。 ブラック軍団に向かっ て "バカヤロ! 死ネ! ジャッキーさんを いじめるな" なんて言ってた。 今、自分がやってんだけどサ。 その頃になるともう、私の進む道は、プロレスしかないって感じで、 高校卒業と同時に、 女子プロのオーディション 受けて・・・。 それは受かったものの、プロテストに何度も落ちてね (飛鳥や千種は1回で合 格)。 4回目でようやく受かった時には、すでに "ヒール" になる決心してた。 悪い奴に 凶器で傷つけられるの、怖かったんだ」
 

I like プロレス・・・本心
話してしまえば数分で終わってしまうことだ けど、今の地位を築くには、 半端じゃない努力をした彼女。 プロテストになかなか受からないため、 生活苦に陥り、会社の営業部に入って宣伝カーに乗ってた時期。 動きが二 ブイということだけで、先輩にイビられ、シゴかれた新人時代。 練習場に爆弾を仕掛けてやろうかと、本気で考えたくらいつらかった毎日の練習。 彼女はいつでも、ヤメテしまっても仕方のないような状況に立っていた。でも、決して逃げなかった。「両親や親 戚の反対を押し切って埼玉から出てきたんだからね。 意地でもや められなかったよ。 それに、私からプロレスとったら......ただの デブになっちゃうもの」 好きな男性、 中村雅俊 (人情深そうだか ら)。 好きなテレビオールナイトフジ (美貴のファン)。 好きなこと、 パチンコ。 だけど、 なによりもイットー好きなのは、プロレス。本人がどう言おうと、決して逃げなかった最大の理由は、や っぱり、これっきゃないネ、プロレスが大好きだったから・・・。
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写真を拡大してみます。

 

 

記事のインタビューの内容は、「ザ・ヒール」や、本ブログで散々書いてきた内容なので、あまり目新しいことはありません。しかし、当時のクラッシュミーハーファンは積極的にダンプの情報は集めていなかったでしょうが、「明星」は読んでいたでしょうから、ダンプの過去に少々驚いたかもしれません。

 

またこの取材は最初はノーメイク、次にメイクした怖いダンプ、そしてまた素顔のダンプに戻ってのインタビューということで、そのメリハリ具合もなかなか良いと思います。

 

ちょっと目新しいのは、

・SMショップは歌舞伎町の店らしい。

・メイクの大元はデビルがイタズラで始めたのが最初だったらしい。

・通勤はリードSS。(後のパンクさせられたヤツ)

・プロテストはやはり4回目で合格。(1回目1979年、2回目1980年3月?? 3回目1980年5月大宮スケートセンター??、4回目はどこ?? 資料によっては大宮スケートセンターで合格とあるから、その間にプロテストがあったのでしょうか、よく分かりません)

 

それと、「気にくわねェ奴を傷つける」と書かれているんだけど、「気に食わねぇ奴はぶっ殺す」とか「気に食わねぇ奴は潰す」だと、冗談っぽく聞こえますが、「気にくわねェ奴を傷つける」だと生々しいですね。