
その①の続きです。
山崎照朝著「女子プロレス物語」にフォークの件について記載がありますので、引用します。
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悪の首領ダンプの左上腕部にグサリとフォー クが突き刺さった。正統派レスラーの大森ゆかりの凶器の逆襲はファンをびっくりさせた。
この壮絶なダンプ対大森の戦いは、ユウがダンプの手助けをする共闘戦術で始まった。大森をリング下に引きずりおろしてやりたい放題の凶器攻撃。それは打倒クラッシュを宣言しているダンプがクラッシュ戦でも見せたことがないすさまじさだった。
竹刀、チェーンはおろか、フォーク、鉄パイプ、バケツとあらゆる凶器を繰り出して大森をメッタ打ち。
「こりゃいかん。試合を止めろ!」。
あまりのダンプの暴走に、カンニン袋の緒を切った植田コミッショナーは"中止"を命じた。国松常務が試合中止の行動に移った時だ。大森の怒りが爆発して大反撃が始まった。
ダンプが持つ竹刀を力で奪うと「お前ら、凶器がないとなにもできないのか!」と絶叫。竹刀を真っ二つにヘシ折ると80キロのダイナマイトパワーをフルに発揮、ダンプの顔を割って流血させた。さらにフォークを強奪すると太いダンプの腕に突き刺したのだ。
予想もしなかった大森の大逆襲にダンプはフォークの刺さった腕をかかえ込み、フラフラになってリングをさまよった。大森はすかさずコーナーポストに駆け上がり死力をふりしぼって空中ボディープレスだ。
しかし勝利の女神はダンプに味方した。空中に飛んだ大森を一瞬捕らえると体を丸めて自爆させ、フォークが刺さったまま大森にのしかか り押さえ込んだ。13分17秒体固めで地獄の騒乱戦は終止符が打たれたのである。
「いいんだよ、あのくらいやったって」。息を切らせて控室に引き揚げた大森をねぎらうようにペアを組む相棒の堀が吐きすてた。だがフォーク刺しという極悪の上をいく過激な行為は、逆に極悪殺法を正統化する口実を与えてしまう。
「大森とは必ず決着をつける。なにがベビーフェースだ。これでヤツも極悪同盟の戦いに批判はできなくなったろうよ」とダンプ。フォーク の刺し傷をさすりながら大森への憎しみをあらわにした(この遺恨はそれから一年後の1986年3月20日、大阪城ホールで実現した)。大森とダ ンプはこのフォーク事件以来、遺恨を深めていき、リングにサスペンスを呼ぶ。
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この本は以前から書いているとおり、フィクションが所々に入っているので全面的に信用ならないのですが、この一戦を簡単にまとめると、
①試合開始からクレーン・ユウが乱入。
②ダンプとユウがあらゆる凶器を使って大森をメッタ打ち。
③あまりの反則攻撃に、ウエダが試合中止を命令。
④大森がダンプの竹刀をへし折り、さらにダンプの顔面を血だらけに。
⑤さらにフォークを奪って左腕突き刺し。
⑥大森のトップロープからのボディプレスをダンプが交わして、自爆した大森をスリーカウント。
ということみたいです。最後に大森があっさりとフォールを取られたので、肩を痛めた可能性もあります。しかし、壮絶な試合でした。
大森のフォークの振り上げ方がホラーです。ダンプは思わず顔をそむけたと思います。
(ファイトスペシャル1より その①のカラー写真とは少し違う角度です)
続いて週刊ザ・プロレスの1985/8/15号にも写真がありました。
場外乱闘での場面でしょうか。頭にフォークを突き刺そうとする大森です。
さらに1985/11/4号の「週刊ザ・プロレス」にも上記のカラー写真がありました。
これを見ると、右腕はジャンボ堀に抑えられており、羽交い絞めにされて2人がかかりで突き刺されたようです。
ダンプ自身の本にもこの件について書かれていますので、引用してみます。
「おかあちゃん」より---------
大森ゆかりとのシングル戦は凄絶だった。
今も、左の肩がうずく。
わたしはフォークで彼女の頭を狙おうとした。すると、大森はそのフォークを取り上げ、わたしの肩に突き刺してきたのだ。間違いなくわたしの左肩にそのフォークは刺さった。肩にフォークの三本の爪が刺さっている。大声でわたしは叫びながら、そのフォークをみずからの手で抜きとった。
だが、血も出なければ、少しも痛みは感じない。
試合後、わたしはフォークの刺さった肩の傷に消毒液をつけてもらった。治療はそれだけだった。傷口は縫わなくても平気だった。というよりも、こんな傷は日常茶飯事で縫いようが なかった。
その日は一日中、肩の傷が痛んだ。
夜はグチュグチュグチュグチュ、傷が痛んで眠れなかった......。
だからといって、"ああ、今日は刺さっちゃったな。どうしようかなあ"とか"ああ、骨が折れちゃったな、どうしよう"なんて考えてる時間はない。試合は明日もあるのだ。
わたしは試合を休んだことがない。考えてる時間があったら寝るしかない。
"早く傷口なおして相手をやっつけなくちゃあ"
他には何も考えない。ふり返らない。
試合の思い出なんか特にない。あまり深く考えると神経性胃炎になっちゃうから。
リングに上がると、そこでは麻酔にでもかかったように、受けた傷の痛みなどまったくといっていいほど感じない。激しく興奮してるからだろう。
リングの上で起こったことは、すべてこれは仕事なのだから、お互いに何とも思わない。むしろ相手がケガをしたら喜んでいた。やられていやだったら逃げればいいこと。逃げられなかったら、その時は逃げられない自分が弱かったわけだ。相手がわたしにやられてケガをする。それも同じこと。相手に逃げる力がなかったのだから、それはしかたがない。だって、それがプロレスなんだ......。
試合中、わたしは血を見れば見るほど燃えた。
リングの上で、思いきり相手をなぐってケガをさせる。血が出る。
いつしか、わたしの鼻からも血が出ている。タラタラと流れおちている。さわると真っ赤な血がベタッ!
こういうのってのは、もう最高に燃えたな......。
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この本によると、大森にフォークを刺されたとき、ダンプは痛みは感じなかったようです(肉で埋もれたから?)。試合で興奮しているとそのときは大丈夫ってことでしょうか。
大森は「痛いんだけど、我慢できちゃう」と話していたので、人によって感じ方が違うみたいですね。
しかし、フォークのケガは試合後に痛みが増したようです。夜はグチュグチュと痛んだ、縫いもせずに消毒液だけで治した、ということです。
現在でもまだ冬になると疼くキズとして残っているのでしょうか。
これは当時の全女の戦場を戦い抜いた者だけの代償ではなく、勲章なのだと思いたいです。