1985/5/14の週刊プロレスに記事がありましたので引用します。
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フジテレビ杯争奪ジャパングランプリ
"ストップ・ザ・ダンプ"
立野、殊勲の場外ドロー
山崎五紀がダンプ松本に敗れたあとを受けて、 今度は立野記代が公式 リーグ戦でダンプと当たった。「私はジャー マンで決めたい」と珍しい予告まで出た立野 は"金星"を狙ったが、 結局、両者リングアウ トに持ち込むのが精い っぱいだった。 立野は今のところ、フォール勝ちナシ、果たして並 みいる先輩から得点を 挙げられるか・・・。
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4/22ですから、ジャパングランプリの序盤戦ですね。
ダンプvsクレーンの前です。
ダンプは後輩の立野や山崎戦で負けはしないものの、両者場外リングアウトになることがあります。それが後々に大きく響いてくきます。1984年のタッグリーグ戦のときも、立野・山崎のコンビに引き分けたことで決勝進出ができませんでした。
立野はこの頃からジャーマンを使っていたようで、100kgのダンプに対してジャーマン宣言という大胆な発言をしています。綺麗に決めることはできなかったようです。
ダンプが短い足で四の字を決めています。ノーTVの試合はちょっと変わった技を仕掛ける傾向がある感じがします。