1985/4/14 雑誌「サンデー毎日」 華麗なるクラッシュギャルズ、底辺の極悪同盟

1985/4/14の「サンデー毎日」にクラッシュが特集されましたので引用してみます。

 

 

「強くて、きれいで、忙しいモノなーんだ?」

「それは炎のクラッシュギャルズでーす」

 

 

この表紙の写真、いつの試合の写真でしょうか。わかる方がいらっしゃいましたら教えてください(^^; 今まで書いた記事のクラッシュ戦で、ダンプがここまで流血しているものがないんですよね・・。

 

 

 

 

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血が飛ぶ。悲鳴があがる。
「コノヤロウ!」
「ギャアアア・・・・・・」
われらがクラッシュギャルズのピンチだ。「クラッシュギャルズ、 がんばって!」。たちまち起こるクラッシュギャルズコール。 手をたたき、足を踏みならし、「がんばってー」。

 

昨年8月、「炎の聖書 (バイブル)」で歌手デビュー。アッとい う間に5万枚を売り上げた。2枚目の「嵐の伝説(レジェンド)」は 6万~7万枚。
たかが女子プロレスなんて見損 なってはいけない。一日にくるファンレターの数が150~200通。初めはちゃんと読んでいたが、 今は、「溜まるだけ」。
試合場に姿を現せば、花束とお菓子のプレゼントが待っている。中には「食 べて下さい、お姉さま」 と、 お弁 当を作って来るコもいて、アイドル歌手なみの人気である。いや、 ファンの年齢層が小学生から高校生、ファンクラブの会員が7000人といえば、もう立派なアイド ル歌手ではないか。

地方に出ても一日に2件、東京 にいれば3~4件の取材が入っている。だから練習する時間もとれないほどだという。
 

こうこうと照らし出された白いマットの上で、 クラッシュギャルズこと長与千種・ライオネス飛鳥が、宿敵、ダンプ松本クレーン ユウの極悪同盟相手に死闘を続けている。鮮血乱れとび、男子プロレス(なんかヘンな言い方だナ) 顔負けの迫力! しかし、実はこの陰でもう一つの闘いが繰り広げられていたのであった。リングを十重二十重に取り巻くカメラマン同士の争いである。少してもいい写真を、いい場所をと、しのぎを削りあう。そこへテレビカメラが突進してくる。新聞社や雑誌社の カメラマンがひるんだところヘテレビカメラが入り込み、一番いい場所を取ってしまうのだ。


取材する方も、なみなみならぬ 突貫精神を必要とされる。だから、 クラッシュ(突進) ギャルズ、なーんちゃって。

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さて、写真を少し拡大してみます。

 

セコンドで奮闘するブル。半刈りにされる前のようなので1985/1月くらい?

 

1985/2/25のWWWA世界タッグ選手権試合。血だらけの長与が、クレーンに卍固めをかけているシーン。

 

そして、この部分

「一日にくるファンレターの数が150~200通。初めはちゃんと読んでいたが、 今は、「溜まるだけ」」

「試合場に姿を現せば、花束とお菓子のプレゼントが待っている。中には「食 べて下さい、お姉さま」 と、 お弁 当を作って来るコもいて」

 

ファンレターがありすぎて読むことすらできずに放置するしかない状態だったようです。アイドル並みに売れていたから、これは仕方ないでしょう。

試合場では花束、お菓子の大量のプレゼントがあったようです。

極悪はこの頃はファンからのプレゼントなんてなかったはずです。

 

先日、「ぶるちゃんねる」に登場したダンプが以下の動画で話していました。

(ちなみにこの動画で、ダンプさんが私のページも紹介してくれました(^^;))

 

 

ダンプ「コマーシャルやゲームの(売上)だって『会社と半分ずっこな』って言われて」

ダンプ「会社と半分ずっこのあと、ベビーフェイスにも少しあげないとだから」

ブル「それありましたね、何だったんですかね」

ダンプ「じゃクラッシュがなんかやったときにウチラもらえた?」

ダンプ「ウチらが『ユンケル飲んでました』っていうといっぱいきたけど」

ダンプ「それを〇〇〇がよこせ!!って言ったんだよね。みんなで分けっこだっていうから」

ブル「その前ってのは、極悪のものはベビーフェイスのものみたいな
ブル「ベビーフェイスってジャイアンだったじゃないですか

事務所にはクラッシュ宛てのプレゼントが散乱していたというのだから、クラッシュ人気に一役も二役も買っていた極悪に分けてあげても良かったと思うのですが、そこは縦社外が厳しく、「ヒールごときにお裾分けはなし!!」だったようです。

 

ダンプの勢力が大きくなるまでは、ダンプの先輩たちは全員ベビーフェイスだったので、極悪はリングの外では、いいようにヤラれていたんでしょう。

 

ダンプがCMに出始めた頃から、ヒールも人間的な扱いをしてもらえるように徐々になっていったのではないかと思われます(^^; そう考えるとリング内の戦いよりも、リング外の戦いのほうが大変だったと容易に想像できます。

 

ダンプは、新人の頃は練習についていけなくて先輩にイジメられて、やっと極悪で有名になったら、別のベビーフェイスにイジメられて、労働環境改善のために戦い、その先輩がいなくなったら、今度は会社と戦って・・と延々とリング外で戦っていたんでしょう。

 

そこはテレビには映っていないので、インタビューから想像するしかないですが、「極悪同盟」というのは、「極悪(なベビーフェイスや会社と戦うための)同盟」だったのかもしれません