1985/9/1 ムック「神聖クラッシュギャルズ」その③ ご意見無用のブル

1985/9/1発売のムック「神聖クラッシュギャルズ」(徳間書店)に極悪同盟が掲載されていたので引用します。

今回はブルのインタビューです。

 

 

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17歳の"ご意見無用"プロレス


17歳の決意 "もうやるっきゃない"
17歳---。世間ではまだセーラー服を着た女子高校生だ。まさか大事な髪をそりおとすなんて誰が考えるだろう。
ブル中野17歳。
「中野恵子」の名で58年女子プロ入りし、同年12月には新人王、59年9月にはジュニアチ ャンピオンの座を獲得。アイドルとして、また新人としてはさい先のよいスタートを切った。

 

ところがある日-----------。
中野恵子の髪がバッサリ切りおとされた。 リングネームも「ブル中野」に改名された。 誰もが目を見はった。「あの恵子ちゃんがどうして?」
笑うと八重歯がクッキリ浮かぶその顔を、今はもう誰もが忘れてしまっている。

 

「一度タッグのリーグ戦があって、同期の小倉と組んでやったことがあったんです」 

小倉はベビーフェイス。テレビドラマにも出演し、一躍スターの座にのし上がってきた恵まれた存在だった。
「ゴンゴン (小倉)はかわいいもの」 うつむきかげんにつぶやいた。
「あの頃はいつも比較されっぱなしでした。 ゴンゴンはかわいいからベビーフェイス。それにスター的存在だったもの」
ピンク色のアポロキャップを目深にかぶりニコッと笑った。
なつかしい八重歯がそっとのぞいた。
 

「"もうやるっきゃない"そう思ったんです。 ゴンゴンがベビーフェイスなら、私はヒールになるしかないって―」
それからというもの、先輩からは「切れ切れ!」 「思いきりやるしかない!」とけしかけられた。
そして60年2月、中野恵子にとって忘れもしない日を迎えた。

 

極悪同盟誕生。
「はじめてリングに上がったときは、それはもうこわかったですよ。みんなの目が自分に集中してるみたいで、すごくこわかった。セコンドで凶器を渡すことすらこわくて、"みんな見てるんじゃないかなあ"って、そんなことばかり考えてました」
今までにない緊張と恐怖が中野の胸をよぎ った。どれだけ勇気のいることだったろう。 

「お父さんも最初は娘が女子プロだって自慢してたのに、髪をそったとたん、はずかしくていえなくなったみたいです」
一番驚いたのはファンよりも、そして自分 よりも、両親だったかもしれない。


"プロレス嫌い"が入門した理由
 

「私じつをいうと、プロレスなんて大キライ だったんです。こわくてテレビも見なかった」 

中野にこんな意外な一面があったとは。それがいったいどうして---?
「母親が勝手にオーディションのハガキを出 しちゃったんです。うちの親、オーディショ ンと名のつくものは片っ端からとびつくクセがあるんです。 変でしょう」
"まあ、選手に会えるだろうから"と軽い気持ちで受けたオーディションに合格。当時13歳、 中学1年生のときだった。中2、中3は学校に通いながら練習をした。
「当時デビルさんが大好きだったんです。普段はすごくやさしい人なのに、悪役になるとどうしてあんなに変われるのかなあって---」 

最近、悪役を目ざす新人たちが増えていると聞くが、悪役の魅力はひとつの変身願望だ。自分の中にある「悪」の部分を表現したい。女の子ならば一度はあこがれる花道だ。中野自身にも、どこかにそんな気持ちがあったに違いない。

「アイドル時代の方が辛いこ とがいっぱいあったなあ。"早くやめろ、やめろ!"って周りからイヤみばかりいわれて、 小松と一緒に荷物をまとめたことが何回もあった」 当時まだ中学生だった少 女のガンバリは並大抵のことではない。
「私あまり気にするタイプじゃないから」とヘラ ヘラ笑う姿は"御意見無用"とは裏腹。ちょっと頼りなげだけど、これがふっと「中野恵子」にもどったときの17歳の姿。

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"死ね”って言われると燃える!!!
 

たしかに"極悪同盟"のブル中野になってからの環境は変わった。
愛嬌のある笑顔もメイクがはじまると、たちどころに消えてしまう。
「最近あまり笑わなくなっちゃった」

 

はしが転がってもおかしい年頃なのに、悲しい発言だ。17歳の少女にとって辛いことはいっぱいある。
「泣いたことは一度だけあったな。髪を切ったばかりのころ、"ハゲハゲ"っていわれて石を投げつけられたとき。思わずバスに駆けこんで泣いてたら、ダンプさんが来て、"そのぐらいのことで泣くやつがあるか"ってすごい剣幕でおこられちゃった
 

極悪同盟のドンであるダンプはまじめで厳しい人だが、「取材のときなんか"写してあげ て!"って私の方を目立つようにしてくれるんですよ」という。厳しいだけに、やさしい人でもある。
そんなダンプをはじめ、先輩たちの力も借りてブル中野は少しずつ成長してきた。

「最近はおこられなくなったし、ちょっとずつ上手になってるなあと感じる」という。 

「私自身もし悪役をやっていなければ、今ごろ、1試合めか2試合めでさえない試合をやっているか、たまにラストに出ても、なぐられて帰ってくるぐらいでしょうね」

 「先輩と当たることが多いですからねえ。どうしても遠慮しちゃうんです。たまに同期と当たるとホッとしちゃう。 やっぱり気の遣い方が違っちゃうんです」
 

いまだに試合は緊張するという。
あるとき、試合前の控室をのぞいた。中野は覚えたての"ヌンチャク"の練習をしていた。そして試合直前、「よろしくお願いします !」かけ声とともにリングに向かった。
そのかけ声が微妙に震えているのだ。
 

"ああ、精一杯頑張っているんだなあ"---- なんだかせつない。
極悪としてのせつなさは他にもある。飛鳥とシングルマッチをやったときだ。案の定、 ラストは飛鳥の決め技、ジャイアントスウィングで終わった。手や頭がもげそうになると いうぐらい誰もがいやがる強力な技だ。これにかかったら、しばらくは立ち上がれない。 ところが、憎まれ役の極悪は、相手よりも先に退散しなければならない。倒れている暇などない。フラフラの状態で立ち上がり花道を引き上げる姿は見ていて痛々しい。

 

でも、これだけ鍛えられてきた中野には、 今までにない強さがみなぎってきた。
今は堂々たるメインエベンターだ。ギャラも後半の試合だと、割増しになる。同期である永友や小松、ライバルの小倉さえも、まだ前半の試合に出ている。

 

「クラッシュと試合をするときなど、かなりひどいブーイングもとぶけど、今はもう平気。"死ね"って言われたほうが燃えるんです」
"恵子ちゃん"もプロになってきた。 そうでなくっちゃ。
 

 

目標はやっぱり"極悪同盟のドン"
 

女子プロの巡業で一番やっかいなものとい えば"風邪"だ。密閉されたバスの中で、ひとりがひくと、たちどころにうつってしまうからだ。
4月の東北地方でのこと。案の定、風邪が広がり出した。そして中野のところにもやってきた。
「なんだか頭がいたいなあと思ったら、45度もあるんだもん」とケロリという。休みが許されないこの世界では45度のからだに鞭打っても頑張れるだけの根性が必要なのだ。
そんな苦しみに耐えられるのは、中野の場合、天性もった明るい性格に助けられているようだ。

「私、同期の中で一番重いでしょ。練習しててもみんなに"重いよお"っていやがられちやう。でも、まあいいよね」
 

この"まあ、いいよね!" が中野の口癖。小さなことは気にしない。
 

「私ねえ、受け身がヘタだから頭を打ってばっかりなの」と笑う。
いったいそれで平気なの?と思うが、当人はケロリとしている。

「やっぱり目標はダンプさんです。 いずれは"極悪のドン"になりたいもの
 

反則ばかりでなく、受けの上手なレスラーになりたいという。
「昔はねえ、スカートもはいたんだけど、この髪の毛じゃねえ。 今の子みたいにキャピキャピなんかしてられないわ」
リングの上で、悪に徹して、戦っている中野を見て、それでも何か胸につまるものを感じるのは、"ブル中野"にごく普通のかわいい 少女"中野恵子"をみてしまうからだろうか。

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こちらの記事も中野の入門から現在までの経緯を、簡単にわかりやすくまとめています。

この記事では中野が自分からヒールに入ったようなストーリーになっていますが、実際はダンプに無理やりヒールに入らさせれたという点は違います。"中野が強引にヒールにさせられた"という情報は当時の雑誌には無いですね。それを書いてしまうとヒールとしての面目が潰れてしまうのか、ダンプが許さなかったのか。

「いずれは極悪のドンになりたい」と書かれています。まだ85年の段階では将来を考えるまで頭が回っていなかったのでしょう。だんだんと反抗期に入っていきますが、それはかなり先になります。