1985/11/12の雑誌「週刊プロレス」にクラッシュとダンプの情報がありましたので引用します。
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10月21日(現地時間)ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデン
あいさつしかできなかったけど・・
私達、マジソンのリングについに上がりました!!
MSGでのクラッシュと帰国時のクラッシュ、そして同時渡米のダンプ松本も成田でキャッチ
千種 週プロの読者の皆さん、こんにちは。私達は10月20日、日本を発ち、現地時間で20日の夕方4時半、とうとうあこがれのニューヨークに着いたのです。ヒルトンホテルには夜7時にチェック・イン
飛鳥 そしてその翌日、21日。ついに私達は、マジソン・スクエア・ガーデンのリングに上がりました!!! 試合はできず、あいさつだけでしたけど、マジソンは私達が思っていた以上に広く、お客さんの熱気には感動しました!
千種 でも上がったとたん観衆の大ブーイングを沸びてショック! 何試合か試合がすんでから、私達は紹介されたんだけど、別に日本選手が悪いことしてたわけじゃないのにね。
飛鳥 うん。でもアメリカでは、まだまだ日本人ていうと悪党レスラーっていう見方が強いみたい。でも逆にそれが、「ちくしょう! 今度来た時には凄い試合してやるぞ」ってファイトが沸いたよね。
千種 うん。私もこの人達の声援を、みんなクラッシュに向けさせてやるって思った。
飛鳥 アメリカのプロレスはゆっくりしていて、スピードを信条としている私達から見たら、歯がゆかったね。
千種 女子の試合も入ってなかったしね。ウェンディの活躍ぶりを楽しみにしてたのにな。
飛鳥 とにかく私達、来年3月にMSGで試合することが決まりました。応援して下さいネ
ダンプ オス、ダンプ松本だ。私もクラッシュと同じ飛行機で、ニューヨークに行ってきたんだ。頭が金髪なもんで、私はずっと外人に間違われて、マイッたよ。税関でも早口でベラベラと英語で話しかけられるし、何が何だかチンプンカンプンなもんだから、私はひたすら「バケーション!バケーション!」と答えてやったよ。税関ではな、その国に入る時、必ず目的を聞かれるんだ。覚えときなよ。
クラッシュのバカ共は、ニューヨークの一流デザイナーにVカットというソリ込みを入れてもらっていたが、私はあそこまでやるほど変人じゃない。紫色のかつらを50ドルちょっと(1万2千円ぐらい)で買ったけど、1度試合でもつけてみるつもりだ。
私も来春MSG登場が決まったからな。これからもがんばるよ。
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1986年の3月にクラッシュとダンプ・中野がマジソンの舞台に立ちますが、その前段としてクラッシュとダンプの3人で10/20にニューヨーク・マゾソンに赴いたようです。
飛行機はダンプとクラッシュは一緒だったと書かれています。この頃は松永会長がお互いを憎しみ合うようなケシカケはまだしていなかったのかも? よくわかりませんが。
ダンプがマゾソンで購入したのが紫色のカツラです。しばらくはこのカツラをつけて入場していたのでお気に入りだったのかもしれません。
写真を拡大してみます。
(わーい、立っちゃった! ここがニューヨークのリングです)
(25日、ダンプは紫色のかつらをつけて登場)
(成田には極悪同盟のブル中野とコンドル斉藤がダンプを迎えにやってきた)