1985/11/19 雑誌「女性自身」ダンプ母が語った意外な素顔「本当は優しい娘なんです」

1985/11/19号の雑誌「女性自身」にダンプの記事がありましたので引用します。

 

 

 

 

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ダンプ松本の母が初めて語った意外な素顔

「ホントは動物好きなやさしい娘なんです」


「ごめんね、お母さん。仕事だからがまんしてね」悪役の道を選んだとき、彼女はそう手紙に書いた。テレビを見るたびに母は胸が痛むという。

「てめえ、このヤロー、ぶっ殺してやる!」
女子プロレス界きっての悪玉・ダンプ松本(24才)。相棒のブル中野と"極悪同盟"を結成。
リングの内外で大暴れをしているが、いまや、これが女子プロレスの新しい黄金時代を支える大人気者、ダンプ自身はタコヤキラーメンのテレビCMにも登場しているくらい。
それにしても、あの異様なヘア・ダイとメーク、164センチ、100キロの巨体。

 

<いったい、どんなお母さんから生まれたのかしら>

 

会いにいってビックリ。母・里子さん(50才)は140センチ、35キロ。ダンプとは似ても似つかぬ小柄な人で、しかも、ニコニコと笑顔を絶やさないやさしいお母さん。「ええ。あの子が生まれるときは、お腹の中で大きくなりすぎて、しかも逆子で、お医者さまも"これではとても普通分娩は無理だ"と言いまして・・・・」
そこで、やなむく帝王切開
「ウギャー!」
と生まれてきたのが、
4000グラムを超えるスーパー・ジャンボの女の子
「これにはわたしもビックリしました。手首なんかもまるまる太って、二重にも三重にもくびれ、まるで金太郎のような赤ん坊でした」

 

本名は香。
 

ところが、この香チャン、小さいころは体に似合わぬやさしい女の子だった。

「小学校のころでしたが、捨てられている子犬や子猫を見ると、放っておけなくなって抱いて帰ってくるんです。そんなもの、どうするの?って叱りますと、泣きながら"自分でめんどうをみるから飼わせて"って言いましてね。そんなことが何度かありましたが、いつも誰にも迷惑はかけず、最後まで自分でめんどうをみていました」ダンプの動物好きはいまでもつづいている。
 

東京・目黒の2DKのマンションでは、愛犬(ポメラニアン)とふたり(?)暮らし。
地方巡業のときにも連れていくくらい可愛がっているがそのほかにも2匹いて、それはお母さんが預かっている。埼玉県深谷市の新興住宅地に建ったばかりの新しい家。家族は両親と妹。父・松本五郎さん(53才)は以前はダンプカーの運転手。現在も埼玉県内のある会社で、車関係の仕事についている。
妹・元美さん(21才)は観光バスのガイド。

 

さて、動物好きのやさしい女の子だった香チャンが、女子プロレスラーを志したのは高校生のとき。大宮市にある私立大宮開成高校(女子高)に通っていたころ夢中になったのが、当時人気絶頂だった女子プロレスラー"ビューティ・ペア"のジャッキー佐藤。このジャッキーの弟と友達になったことが、彼女の憧れを現実的にした。
 

両親にはないしょで、女子プロレスの試験を受けたのである。
しかし、これは何回受けても落第。だが彼女はあきらめず、募集がおこなわれるたびに、挑戦を続けていた。
やがて、高3の秋。このことを知った父・五郎さんは烈火のごとく怒った。
無理もない。彼女はそのときすでに、川口市にある太陽堂パン(株)に正社員として、採用が決定していたのである。だが、どうしても女子プロレスラーになりたいという娘に、父親も根負けをした。「こんどのプロテストに受からなかったら、わたしもあきらめるから」
「よし、それが最後だぞ」。

 

最後のチャンスのプロテスト。運が幸いをした。
「でも、最初の4年間はずっ下積みで、ずいぶん苦しかったようです」と里子さん。牛乳配達や書店のアルバイトをしながらの下積み修業であり、時には協会の宣伝カーの運転手をしながら、黙々とトレーニングに励んでいた。リングネームは本名の松本香。やがて、ダンプ松本と改名して、悪役の道へ進むことになる。このとき、彼女は母あてに手紙を書いた。

 

『ごめんね。お母さん。仕事だからがまんしてね』
リングの戦いに打ちこめば打ちこむほど、ファンからは憎まれる。
「テレビの中継も、まともには見ていられません」
と里子さん。
「自分が血を流すのなら、仕方がないんですが、でも、相手の方を傷つけますでしょう。あちらのお母さんだって、きっとテレビを見ているはずだし、娘さんが傷つけられてどんな気持ちでいらっしゃるか・・。
私としても、あの子からビデオをとるように頼まれているので、見ないですませるわけにいきません。
そのたびに胸が痛みましてね。
そういうときはいつも"仕事だからがまんしてね"と書いてきたあの子の手紙を、思い出すようにしているんですが・・・・」

 

 

旅先からセーターやマフラーを編んで送るという母思いの娘

 

この9月15日に引っ越してきたばかりだという新居。
敷地70坪。2階建て5部屋。土地、建物、ローンの金利を含めて総額3千数百万円。
憎まれながら稼ぎに稼いだ金で、両親のために建てた家である。
両親とも熊谷市の出身で、長い間、地元に住みついていたが、それが住みなれぬ深谷市に移ったのには、それなりのわけがある。
里子さんは決して語ろうとはしないが、ダンプ自身はマスコミの質問に答えて、こう言っている。
「自分が女子プロで悪役をやるもんだから、周りの世間から(母親が)いじめられる。買物に行きゃ子供に石を投げられる。家にいりゃ表からガラスを割られる。自転車はパンクさせられるし大変なんです」(週刊文春9/12号)

「あの子にしてみれば、わたしの体が弱いものだから、余計に心配だったのでしょう。5年前には十二指腸潰瘍の手術をしたし、ついこのまえも腸捻転で病院に運びとまれるしまつでして」
 

そのお母さんに、旅先からでもセーターやマフラーを編んで、送ってくるというダンプ松本。
「いつでしたか、12人だか13人だかの子だくさんのお母さんが子供たちを残してなくなったという話をテレビでやったことがありました。

その時あの子から電話がかかってきましてね。可哀そうだと言ってシクシクないているんですよ。あの子は本当は優しい気持ちを持った子なんです」

その里子さんにとって、いまいちばんの気がかりは、適齢期にある彼女の結婚

「聞いてもきまって"わたし結婚なんかしないヨ′′と言うだけでしてね。ただ、主人の妹が聞いたときは"うん、もしいい人がいたらね"と言っていたそうですが・・・・」

女心の本音は隠して、きょうもまたリングに向かう。
 

<追記>記事の掲載を前にして、ダンプ松本に了解をとりにいったところ、「なに、おふくろの記事? このオのヤロー、ヘンなことを書くと、ぶっ殺すぞ!」
怒号とともに、手にした竹刀でテーブルをガンガン。
「いいか、オレの家に二度と顔を出すんじゃないぞ!」
殺気さえ感じさせる迫力。

 

<あの子は本当は、やさしい気持ちを持った子なんです>
母・里子さんの言う素顔はついに見ることができなかった。

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文春やサンケイに続き、怪しい記事内容です。

ダンプのお母さんの背が小さくて痩せられているのは事実です(ダンプさんのブログなどでも確認可能)。ただ体が弱いかどうかでいうと、高齢になってもまだお元気でいられるので身体的には強い方なんじゃないかと思います。

 

逆子、帝王切開、産後4000gは本当なんでしょうか(^^; 自伝には正確なことは書いていませんでしたが、元気な女子だったとは書いてあります。

 

ジャッキー佐藤の弟さんと友達になったと書かれています。これは自伝にも書かれていないので、本当なのか分かりません、

プロレス会場などで追いかけをしているうちに、ジャッキーさんの弟さんと親しくなることがあったでしょうかね。