1985/11 雑誌「デラプロ」ダンプへのインタビュー

1985/11月号の雑誌「デラックスプロレス」にダンプのインタビューがありましたので引用してみます。

 

 

 

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俺の青春スキャンダル

「レスラーやめろと言われ、やむなく営業に回った。

お金が安いから・・という理由で、地方ではモーテルにも泊まった。

たまらなく寂しくってね・・。

 

●バイク
50ccのバイクに今、乗っているんだけど
、本当は400ccのに乗りたいんた。私の場合、運転免許を持ってるから、9回乗るだけで免許が取れるんだって。でも夏の間は教習所が混んでるし、たくさんの人に「あっ、ダンプだ!」って感じで、見せ物みたいに見られるのはイヤだから行かなかったの。だけどチャンスを狙って免許を取って、入場する時、400ccのバイクに乗って出たいんだ。原付(50cc)でも出れるじゃないかって? 原付じゃカッコ悪いですよ。私は400ccを知り合いの人に改造してもらって、誰が見てもすげえとうなるような暴走族風のバイクに乗って、旗を振りながら花道を走りたいんです。

 

●少女時代
うちの近所には同い年の女の子がいなかったの。だからママごとなんかしなかったし、いつも男の子達に混じって、ザリガニ取りとか、カエル取りとか、かぶと虫を取りにとか、そういうことして遊んでたな。私は埼玉県熊谷市に住んでてね。夏なんか朝4時頃起きると、道ばたにかぶと虫が歩いてたの。でも、それも早く採らないと車にひかれちゃうんですよ。
野球もよくしましたね。だけど大きい子達とやってたから、うしろの方で球拾いしてたことも多かったですけど(笑)。でもそのおかげで、他の小学校とのソフトボール大会では、代表に選ばれて4番を打って大活躍してましたよ。

 

●初恋の人
中学校3年の時、交換日記をしてた人がいたんです。私がしようって言いだしたんじゃなかったんだけど、友達が騒いで、まわりが盛り上げちやって...。よくある中学生のパターンですよ。でも秋になって「もう受験だからやめよう」って事になってね。そのまま・・・消えちゃったんです。ところがその男の子と、
今年に入って「やすきよのスターQ&A」で再会したんです。私がこの番組にゲストで出演してたら、突然「ゴタイメーン」って感じで。全然知らなかったから本当にびっくりしちゃった。でも・・・・心ときめくことはなかったですね。もう昔の思い出です。

 

●ビューティ・ペアにあこがれて

よく芸能誌の人には、高校時代は不良だったんだろう?なんて聞かれるんですけど、全然そんなことはないです。そのころはもう、ジャッキーさんにあこがれてて、自分はプロレスラーになるんだ!っていう決心を固めてましたから。
社長あてにも手紙を書いたり、カセットテープに声をふき込んで「私、どうしても女子プロに入りたいんです。よろしくお願いします」なんてね(笑)。社長はそのたびに「またあの太った子から来たよー」なんて困ってたらしいですよ。
でも、高校2年の時に落ちたオーディションにも、3年の時には見事パス。私にもちょっぴり、女子プロレスラーになる道が開けてきたんです。
 

●レスラーになれた!
でも、その年はプロテストに落ちて、一年間私は練習生生活。翌55年は、オーディションに再びパスしたものの、3月のプロテストで不合格。それでも私はレスラーになりたかったんだけど、社長やマネジャーに「おまえ、レスラーはあきらめろ」って言われちゃってね・・・。
仕方なく会社の営業の仕事を手伝う事になって、当時から運転免許を持っていた私は、宣伝カーにひとりで乗って、全然知らない土地を回るハメになったの。安いからって、モーテルにも私だけで泊まらされたし。隣りから変な声が聞こえてきそうで、私、本当に嫌でしたよ。
でもその頃、女子プロは2班に別れてサーキットする計画が具体化。新人選手を補強するため、5月に再度プロテストがあって、ついに合格!!! 私は念願のプロレスラーになれたのです。あの時もし、2つのグループに選手を分ける計画がなかったら、私はレスラーには、なっていなかったでしょう。

 

●目黒のバイト荒らし
練習生や新人の頃は、お金がなくてねー。アルバイトもたくさんやりました。
練習生時代は、目黒の牛丼屋の隣りの本屋さんのレジや、ターミナルビル地下の皿洗い・・・。あの頃、"目黒のバイト荒らし"って呼ばれてたんですよ(笑)
新人の時だって、お金はすぐになくなっちゃう。今の新人みたいに、当時は会社からお金を前借りすることができなかったんです。私はオフの時なんか、
練習を早めに切り上げると「歯医者さんに行ってきます」って言って、ひとりで先に道場を飛び出し、新宿のラーメン屋で働いてたこともありましたよ(笑)。一週間で4万円でした。あっ、これナイショですよ。でも・・・・・・もういいか(笑)。

 

●先輩
私が新人の頃は、
先輩って本当に"怖い"存在だった。マミさん(熊野マミー引退)には、バスの中での洗濯物の干し方までしつけられたの。下着をつるしたら、それを全部タオルで隠すようにしなければいけないってね。
バスの中・・・といえば、ジャッキーさん達が寝てたらね、私達はお菓子を食べるどころか、小声で話すことすらできなかったの。それほど緊張してたのね。先輩には、いじめられた事もあったけど、教わったこともたくさんありました。
 

●"ダンプ"の名づけ親
デビルさんがヒールから抜けた頃、クラッシュが堀&大森のWWWAタッグに挑戦して、
次はおまえとユウを組ませてタイトルに挑戦させるぞって会社に言われた時、私は今までの自分を捨てようって思った。それまでの私は、ヒールだったけど悪になりきれない、中途半パなレスラーだったの。いつまでも下には、いたくない!そう決心した時、髪も染め、極悪メイクをすることも、抵抗はなくなっていた。
"ダンプ"っていう名前はね、埼玉の深谷で試合やってる時、酔っ払ったお客さんが「あいつダンプみたいだ!」って言ったのがキッカケ。女子プロには「お客さんが付けた名前は売れる!」っていうジンクスがあるの。それに“ダンプ"って呼びやすいから、私、自分で納得して"ダンプ松本”って名前に変えました。
その頃はいろんな人から「変な名前だ」って言われたけど、この名前にしたからこそ、今の自分があるんだし、私は気にいってます。

 

●大森ゆかり
私が今、一番気にしてるのは大森ゆかりなの。私はあの子を極悪同盟に入れたい。
入れて、あの子を光らせてあげたいんだ
大森は本当にとっても強い。それは闘ってる私が言うんだから、間違いないよ。なのにあの子は・・・。
最近、私のところに、こんなファンレターも来るの。
「私はダンプさんは嫌いだけど、大森さんのファンです。でも最近のナッちゃんを見てると、歯がゆくて仕方ありません。ナッちゃんは若い選手のかませ犬じゃないんです。このまま後輩の踏み台になるくらいなら、極悪でバリバリ活躍してほしい」って。
私は大森に、極悪入りを賭けて闘わせるつもり。私が負けたら極悪の解散、という条件も賭けてあげる。これは決して、「極悪同盟の勢力拡大を狙った・・・」とか、そんなものじゃないんだ。大森に私は言いたいよ。残り少ないレスラー生活を、一緒に輝いてみせようじゃないかって。
大森よ!聞こえるか!!!!

 

●阿部四郎
阿部ちゃんは極悪には必要な人。それに本当はいい人なんだ。いろいろな施設にも寄付して、賞状もいっぱい持ってるし。ウチらにも小使いくれるしね(笑)。昔からレフェリーをやってたんだけど、こうして名前が有名になったのは、私達が極悪同盟を作ってからだから嬉しいみたい。それでよけい、極悪の子がかわいいんじゃないのかな。

 

●CM

もっともっと出たい。お金がいっぱい入るから(笑)。車のCMにも出たいな。そしたら車、もらえるかもしれないじゃない(笑)。あと、中村雅俊さんと一緒に、ビデオのCMにも出たい!欲ばりかな(笑)。目標貯金額?1億円だよ!!!アハハ。
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なかなかのロングインタビューです。

目新しいことはあまりないのですが、注目の部分は赤くしておきました。

 

まずバイクです。以前何かの記事にも400ccのバイクで入場したいと書かれていました。アメリカの男子プロレスではバイクで入場というのもあったと思いますので、それを女性でやりたかったんだと思います。ターミネーターみたいで格好いいと思うので、ぜひ実現してもらいたかったですね。免許がなくても会場内の私道ならば無免許でもできると思うのですが、大きい会場がなかったのか、残念です。

 

初恋の人は「ダンプ松本のマジだぜ!!」の本に、何人か名前が名前が出ています。小学生だったときに憧れだったという地元の観光業の男の子だったかも、会場に応援に来られていましたしね。

 

バイトをやりまくったことも別の本に書かれてましたが、実際にどのようなアルバイトをしていたかは不明でした。目黒の牛丼屋の隣りの本屋さん、レジや、ターミナルビル地下の皿洗い、新宿のラーメン屋と書かれています。

 

ヒールにやる気になったのは、1984/1/26のWWWAタッグマッチ選手権から、と書かれています。このときにダンプがユウと組、大森・ジャンボのペアに挑んだのですが、かなり荒れた試合をした模様。

髪の毛をこの時に染めたとありますが、写真をみるとサイドだけのままのようにも見えますが、どうなんでしょう。2月のデビル軍団解散のときは完璧な金髪だと思います。

 

『1984/1/26 WWWA世界タッグ選手権 対ダイナマイトギャルズ 改名早々やってやるぜ!!』AJWW 1984/1/26 WWWA世界タッグ選手権 広島県立体育館大森ゆかり、ジャンボ堀vs ダンプ松本、マスクド・ユウ 1984/1/26にもダンプ&ユ…リンクameblo.jp

 

大森の件については「私はあの子を極悪同盟に入れたい。入れて、あの子を光らせてあげたいんだ。」と書かれています。

これは本心なのかは不明です。また大森のファンからも「極悪でもいいから、輝かせてあげて」というファンレターが来たとのこと。大森のファンはなかなか過激ですね。

結局、大森はヒールにならなくても光り輝いたので、ヒールにならなくて良かったという結果となりますが、ヒールになったらなったで、その後どうなったのかも見てみたかったです。

 

写真を拡大してみます。