ハルユキの苦悩(11)


菅野に助けられたハルユキは…?


登場人物

ハルユキ。小柄で太った体型。性格は内向的。

菅野(すげの)。ハルユキの担任。


ハルユキは灼熱の荒野をずっとさまよい続けた。
(ここはどこなんだ…。砂漠か…?)
熱い。体中が熱くて、そして痛い。
ハルユキの体はひどく傷ついて、足元もおぼつかない状態だった。
このまま倒れて、そしてずっと眠ってしまいたい。
何度もそう思った。
しかし、よろめくように歩き続けた。
この場所で倒れてしまったら、もう二度と立ち上がれないと思ったからだ。


ふとハルユキの横を、何かが疾風のごとく横切った。
その物体は小さな飛行機のようで、目にも止まらぬ速さで空を一気に舞い上がっていく。
ハルユキが目を凝らすと、それは飛行機ではなかった。
鳥だ。
翼を真横に広げて、地上すれすれから一気に舞い上がる鳥だ。
その飛翔する姿に、ハルユキは吸い込まれるように夢中になった。
そしてなぜか、涙が零れた。
あんな風に…飛びたい…。
「ボクを一緒に大空に…!」
必死に空に手を伸ばした。



……。
「ボクも連れて行って!」
ハルユキは叫んでいた。
しかし真っ先に目に映ったものは、白い天井。
先ほどまで歩いていた砂漠はどこに行ったのだろう。
頭がボヤッとしていて、なにがなんだかわからなかった。
「おお、気がついたか?」
記憶にある野太い声だった。
ハルユキがチラッと横を向くと、そこには心配そうな顔をした菅野が覗き込むように座っていた。
ハルユキは、視線をそっと左右に順に向ける。
白いベッド、白い掛け布団、カーテン、そして薬品の匂い。
どうやらここは保健室のベッドらしい。


再び菅野に視線を送る。
いつのまにか、菅野がしっかりとハルユキの手を握っていた。
それはハルユキが砂漠の中で、鳥に向かって伸ばした手だった。
菅野の手。
暖かい。
大きくてゴツくて、頼もしい手。
久しく感じる温もり。
「セン…セイ…?」
「先生がそばにいるから、安心しろ」
「え……」
「先生がずっと守ってやる。ずっとだ」
その一言で十分だった。


誰でもよかった。
母親でも友達でも、見知らぬ人間でも。
ただ自分のことを、本気で守ってくれる人間が欲しかった。
ハルユキは自分でも知らぬ間に、菅野の胸に抱きついていた。
「うっ…ううっ…センセッ……」
「お、おい、有田?」
「センセ…すげのセンセッ…!」
ハルユキはすべての重圧から解放されたように、
  下半身をベッドに残したまま、上半身で菅野の胸に飛び込んでいた。
しばらくの間、菅野の胸の中で号泣した。
「うっ…ひっく、すげのセンセ…ううっ…」
まるで小動物のように震えて、赤ん坊のように泣きじゃくるハルユキ。
菅野は黙って、胸の中で泣きじゃくるハルユキを抱いていた。
胸でしっかりと受け止め、頭を優しく撫で続けた。
……。


しばらくすると、ハルユキは落ち着きを取り戻した。
菅野の胸から、顔を起こす。
ハルユキは目を真っ赤に腫らせて、まだ体を少し震わせていた。
菅野に視線を向け、声を詰まらせながら話しかけた。
「センセ…スミマセン」
ハルユキがふと菅野の表情をみると、なぜか菅野も目を赤くして涙をガマンしているように見えた。
「せ、先生…?」
「すまん、先生ももらい泣きしてしまった」
「ボクこそ、ごめんなさい。先生に突然抱きついたりしてしまって…」
「構わん。有田は俺の一番大切な生徒だ」
菅野はハルユキの肩をしっかりと握り、まばたきもせずに見つめた。
ハルユキはその視線を恥ずかしく感じたが、頬を赤く染めて視線を送り返した。


しばらく見詰め合う。
菅野の真剣な表情。
嘘偽りのない、まっすぐな瞳に見えた。
なぜかハルユキは心が安らぎ、そして気持ちが和んだ。
菅野は、ハルユキが落ち着いたことを確認すると、彼の上半身をベッドに戻した。
ハルユキは仰向けに眠ったまま、しばらく天井を見つめていた。
荒谷の壮絶なリンチ、そして制裁。
しかし、それを救ってくれたのは担任の菅野だった。
ハルユキはふと我に返って、天井を見上げたまま菅野に問いかけた。


「先生…」
「どうした?」
「あのとき先生が来てくれなかったら、ボクはもう…」
ハルユキの言葉に菅野はしばらく沈黙していたが、遅れて返事をした。
「すまなかったな」
「え…?」
意外な返答にハルユキは思わず、菅野の方向に振り返った。
「どうして先生が謝るんですか?」
「今朝、進路指導室でお前のことを理解してやれなかった。申し訳ない」
「ボクは倉嶋が先生にイジメのことを話したから、ちょっと怒っただけで…」
「倉嶋は何も話していない」
「じゃ、どうしてイジメのことを…」
「先生はな、ずっと有田のことを気にかけていた」
「えっ…?」
「なんだ…その…先生はお前みたいな生徒が好きなんだ。
  入学したときから、体は小さくても人一倍がんばっていただろう? 
  でもいつの間にか、だんだんとお前が疲れているように見えてな。
  それで荒谷がイジメているのではないかと、薄々感じ始めたんだ」
「そうだったんですか…先生、勘違いしてごめんなさい」
「謝るのは俺だ。今日、お前がひどい目に遭ったというのに何もしてやれなかった」
菅野の誠実な言葉に、ハルユキの表情は不思議と柔らかくなった。


保健室のベッド。
いままでここで寝たことはなかったが、不思議と心が安らぐ感じがした。
それは自分のことを真剣に考えてくれる菅野が、横に座っているという安心感もあるのかもしれない。
ハルユキの顔つきは、いつのまにか僅かな微笑みに変わった。
すると菅野がおもむろに口を開いた。
「有田、それがお前の本当の表情なんだな」
「ボクの表情…?」
「いつもビクビクとして視線を落としていた。だがいまは優しい顔をしているぞ」
「そ、そうですか…?」
「あぁ。先生は有田の笑顔が大好きだぞ」
「そ、そんなこと言われると…恥ずかしいです」
「先生は決めたんだ。これからずっと有田を守るとな。だから普段はもっと明るい顔をしろ」
「そ、そうですよね。えへへ」
相変わらず青春ドラマみたいなことをいう菅野に、ハルユキは困ったように頬をかいた。


「ところでケガは大丈夫なのか?」
菅野が話題を変えてきた。
ハルユキは率直に返答した。
「体中が痛いです。荒谷に相当にひどいことをされましたから」
「ああ、分かっている。体のあちこちがアザだらけだったぞ」
「え?」
「お前は裸で屋上に倒れていたんだ。悪いがそのままの格好で運ばせてもらった」
「ええっ!?」
ハルユキは驚いて布団をそっとめくり、下半身に視線を向ける。
たしかにスッ裸だった。
ということは、菅野は屋上から保健室まで、裸の自分をおぶってきたのだろうか。
そう考えたとき、ハルユキの顔は温度計が振り切れるほど真っ赤になった。




次回、菅野の行動にハルユキは…?

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