登場人物
柴山純平です。
織本泉です。
──陽が暮れて、夕日が眩しい駅前。
私は学校が終わると、すぐに電車に乗り、この街にやってきた。
駅の周りは小さな商店街があるだけの、こじんまりとした住宅街に見えた。
ここが純平が生まれ、育った場所。
私はポケットからゴソゴソと、四角に折りたたんだ地図を取り出す。
「えっと、交番があそこにあるから、右に歩いていけば・・」
ポケットに地図を再び収め、私は歩き出した。
すでに夕刻のためか、人通りが多い。
買い物をする人たちで、店の前の歩道は人でごったがえしていた。
同じ年と思われる小学生が、ランドセルやカバンをぶら下げて、はしゃいでいる。
信号の角を曲がり、数歩の距離を歩いたとき。
懐かしい姿が、私の視界に入った。
青いツナギに身を包んだ少年。
茶色なボサボサの頭。
キョトンとした大きな瞳と、一際目立つ大きな体。
私はすぐに分かった。
純平・・。
塾の帰りなのか、携帯電話でメールを打っているように見える。
私はその姿を見たとき、自然に頬が緩んだ。
なぜか分からないけど、心臓が高鳴って、苦しくなった。
そして、こみ上げる感情を止めるのに必死だった。
よかった・・。
純平は、やっぱり人間の世界に戻っていたんだ。
私が遠くから様子を伺っていると、純平はずっと下を向いて、メールを打っている。
私のことには、全く気がついていない様子だった。
私は一瞬、遠くから声をかけようとしたけど、それをやめた。
手を後ろに組み、高鳴る鼓動を抑えながら、純平のすぐ目の前まで歩を進めた。
純平は、人の気配に気がついたのか、ふと顔をあげる。
キョトンした目。
まん丸として、ふっくらした顔。
純平と目が合ったまま、数秒が経った。
私はその間、何度も純平に話かけようとした。
だけど、胸が詰まって声がでなかった。
先に口を開いたのは純平だった。
「あの・・君、どこかで会ったことある?」
「えっ・・?」
「俺になにか用?」
「・・・」
「ところでさ、君、すっげー、俺のタイプ! 名前を教えてくれないかな?」
私はその言葉を聞いた瞬間、愕然とし、息が苦しくなった。
私はすぐに悟った。
純平から、デジタルワールドの記憶が消えている・・?
私と初めてトレイルモンの中で出会ったことも、拓也や輝二や友樹に出会ったことも、
ブリッツモンに進化したことも、私のために命をかけて戦ってくれたことも、すべてなくなっているんだ。
私は走っていた。
純平が人間の世界で生きていたのは嬉しかった。
でも・・。
やっと、純平に会えたのに・・。
やっと、純平と話ができると思ったのに・・。
デジタルワールドの出来事がすべて消えているなんて、そんなひどいことがあるの?
私は悔しくて、悲しくて、心が痛くて・・。
無我夢中で走っていた。
「ねぇ、君! ちょっと、待ってよ!」
純平が私のことを呼んでいる。
でも、もう振り向きたくない。
記憶のない純平の顔を、もう一度見ることなんてできなかった。
「ちょっと、待ってったら!」
「・・・」
「だから、泉ちゃんってば!」
「ううっ・・」
「泉ちゃん、ごめん!」
「えっ・・?」
いま、私のことを「泉」と呼んだ・・?
私はその場に呆然と立ち尽くした。
ゆっくりと振り返ると、そこには頬を掻きながら、照れくさそうにしている純平の姿。
「純平・・」
「泉ちゃん、ごめん。ちょっと驚かそうとしただけだったんだけど・・」
「うっ・・うっ・・・」
「まさか泉ちゃんが泣くとは思わなかったよ・・。俺、泉ちゃんにひどいことしちゃって・・。本当にゴメン!」
純平が両手を合わせて、謝っている。
「もう、純平のバカ!」
私はいつものように怒鳴っていた。
手をギュッとスカートの裾で握り締めて、何度も大声をあげた。
「純平のバカ! バカったらバカ! びっくりしたじゃないの!」
「ごめんよ、泉ちゃん」
私は怒りながらも、別の感情で胸が一杯になった。
純平が生きていて、私のことを覚えてくれていて・・。
ただ、ただ、・・うれしくて・・・。
純平は暖かな表情を浮かべながら、私に話しかけてきた。
「でも、よかったぁ。ルーチェモンを倒して、無事に人間の世界に戻ってきたんだね」
「う、うん・・」
「俺、1人だけデジタルワールドからいなくなっちゃって、みんなに迷惑をかけてさ。
本当にドジだよなぁ・・。拓也も輝二も、アグニモンもヴォルフモンも怒ってただろ?
俺はずっとみんなのことが気になって、休みの日は渋谷に行っていたんだけど、
全然デジタルワールドの気配がしなくてさ。
特に泉ちゃんは無事に戻ってきますようにって、毎日お祈りしてたんだよ」
「私のことを、ずっと心配していてくれたの・・?」
「俺がもっと強ければさ・・。ルーチェモンを倒すのは大変だっただろ?」
「そんなことない・・」
「本当にごめんよ。
アイスデビモンを倒したあと、急に意識がなくなっちゃってさ・・。
気がついたときは、渋谷駅のエレベーターの中で倒れていて・・・って、えええっ!?」
私は言葉よりも先に、純平に抱きついていた。
「純平・・」
「泉ちゃん・・あの・・その・・ひぃ・・」
「純平!」
私は人目も気にせず、純平の大きな胸に抱きついていた。
男の子に抱きつくなんて、恥ずかしくて外国でもしたことがないのに。
でも、純平の体はおっきくて、暖かかった。
胸の中に顔を埋めようとすると、ポケットの中にあるチョコレートが邪魔をする。
こんなときくらい、男ならチョコレートは外に出しておきなさいよ・・。
でも、それが純平らしいかな・・。
純平は緊張したような声で返してきた。
「泉ちゃん、ちょっと、あのその・・」
「純平はすごいよ・・」
「・・・」
純平は私の肩を掴んで、抱きついている私を少しだけ離した。
純平は気まずいような顔をしているように見えた。
だから、私はすぐに視線を横にはずした。
「そうよね・・。純平の気持ちも考えないで、勝手に抱きつくなんておかしいわよね・・」
「いや、そうじゃないって」
「私は純平のことを、わがままだとか、口ばかりだとか、散々ひどいことを言ったんだもの・・。
純平が消えたあの日だって、私は"純平が勝手に進化して戦った"とか、
"純平が勝手に消滅した"とか、ブリッツモンにひどく八つ当たりしたのよ。
純平のデジバイスだって、はじめは受け入れるのを拒絶しようとしたんだから・・。
私って最低よね・・・」
その言葉に、純平は視線をはずして、遠くを見つめていた。
そして、ゆっくりと返してきた。
「俺は分かっていたよ。泉ちゃんは俺のことを好きじゃないし、
俺が一生懸命になにかをしたところで、それが泉ちゃんの迷惑になるってことも。
でも、いつか俺の気持ちが伝わるといいなって、ずっと思っていたんだ」
「ごめんなさい・・」
「泉ちゃんが謝る必要なんてないよ。
だって、俺が泉ちゃんを好きになったのは、俺の意思だし、
俺が泉ちゃんを守ることだって、俺が決めたことなんだ。
俺は泉ちゃんの笑顔を守りたかった。ただそれだけだよ。
そりゃ、人間の世界に1人だけ戻ったと分かったときには、とても寂しくて辛かったけど・・。
でも、なぜか悔いはなかった。
それに俺のしたことが、泉ちゃんに少しでも受け止めてもらえて、とってもうれしいよ」
「純平・・」
私は純平の顔を見て、ふと思った。
遠くを見つめる純平の顔は、以前とは比べ物にならないほど凛々しいと。
なにかを守ることで、人間ってこんなに変わるんだ・・。
「これ・・」
私はポケットから、純平の携帯電話を取り出した。
そして、純平の前に差し出す。
「俺の携帯電話・・?」
「私はこの携帯電話に何回も助けられたわ。たくさん勇気をくれたの。
純平は知らないかもしれないけど、ブリッツモンはあのあと意識だけがデジバイスの中で蘇ったわ。
私は純平がいなくなって、寂しくなったときに、ブリッツモンといろんなことを話した。
そして、純平のことをいろいろと教えてもらった。
純平のことを知るたびに、私は純平にもう一度逢いたいって、何度も思ったわ」
「ブリッツモンが? 俺のことなんて言ってたのかな・・?」
「それは秘密。おもしろいこともたくさん聞いたのよ」
「もう、やだなぁ。泉ちゃんったら・・」
「だから、この携帯電話は私にとって、第二のデジバイスかな・・」
「そっか、俺のデジバイスが泉ちゃんに勇気を・・。
その携帯電話さ、もしよかったら泉ちゃんにあげるよ。
でも、俺の使いまわしだし、もう古い機種だし、いらないよね・・ハハハ・・」
「・・・・」
「ハハハ・・」
「・・もらってもいいかな?」
「えっ?」
「私、大切にするわ」
「泉ちゃん・・!」
その後、私は純平と近くの公園に行った。
ベンチに2人で並んで座る。
私の隣に微妙な間隔をあけて、純平がチョコンと座っている。
まるでデートの1シーンみたい。
隣で、太ももをモジモジとさせている純平に話しかける。
「純平?」
「・・なに?」
「こうして座っていると、私たちどういう風に見られるのかな?」
「え、それはその・・もうやだなー、泉ちゃんったら」
「ふふふ」
「どうして笑うの?」
「前にも、こんな風に2人で話したことがあったかなぁって」
「そ、そうだったかな」
純平は少し顔を赤くして、照れくさそうにしている。
そんな純平を見て、私はとても心が落ち着く感じがした。
今度は純平から話しかけてきた。
「実はさ、俺はデジタルワールドで消滅したあと、選択を迫られたんだ」
「選択・・? 誰に迫られたの?」
「分からない。たぶんオファニモンの生まれ変わりのデジモンかな?」
「そうだったんだ。それでどんな選択なの?」
「このまま"柴山純平"として人間の世界に戻るか、
それとも別の新しい命となって人間の世界に戻るか。
デジコードに変換された俺は、人間の世界に戻るときに、生まれ変わるチャンスをもらったんだ」
「・・・」
「以前に泉ちゃんに話したことがあったよね。
俺は誰も知らない世界に飛び込んで、もう一度生まれ変わって、人生をやり直したいって。
だから、選択を迫られたとき、俺は迷った。
人生を初めからやり直せるならば、そのほうが楽なんじゃないかって。
でも、俺は決めた。
俺は柴山純平であり続けることを選んだんだ」
「・・どうして、そうしたの?」
「だって、俺は俺だもん。柴山純平なんだ。
それに分かったんだよ。どうしたら自分を変えられるのかをさ。最初からやり直す必要なんてないんだ」
純平は力強くいうと、気持ち良さそうに胸を張った。
私はそんな純平を見て、ドキンと心臓が高鳴るのを感じた。
「ねぇ、純平?」
「なに?」
「いまでも、自分のことが嫌い?」
私の質問に、純平は一瞬、間を置いた。
「・・好きだよ。だって、自分が自分のことを好きにならなきゃ、友達だって好きになってくれないしさ」
「純平・・」
私は視線を落としたまま、純平の手に、そっと自分の手を伸ばした。
純平の手。
太ももの上に、グーの形で置かれている純平の拳に、そっと手を合わせる。
純平の体が、一瞬ビクッと反応した。
でも、純平は私の手を、ゆっくりと握り返してくれた。
純平の手ってものすごい暖かい。
こんなに大きくて、頼もしい手だったんだ・・。
・
・
「ねぇ・・純平のやりたいことって?」
「え、なに?」
「以前に話してくれたわよね。人間の世界に戻ったら、1つだけやりたいことがあるって」
「あ・・うん・・」
「それってなんだったの? 教えて欲しいな・・」
私の問いかけに、純平はしばらく目を合わさずに、黙っていた。
そして、にっこりと微笑みながら、私の瞳を見つめた。
「もういいんだ」
「・・どういう意味?」
「だって、いまこうして、泉ちゃんと気持ちが通じ合っているんだから」
その言葉は、テレビや映画で何度も聞いたような、ごくありふれたセリフだった。
でも、私にとっては、いままでのどんな言葉よりも心が温まるものに感じた。
「俺は二度と、『泉ちゃんのためなら死ねる』なんて言わない。
今度は泉ちゃんのために、新しいフレーズを考えたんだ。寝ないで考えたんだよ」
「もう、純平ったら。今度はどういうフレーズなの?」
「じゃ言うよ?」
「もったいぶらないで、教えてよ」
「うん。
『泉ちゃんのためなら、たとえ火の中、水の中。どんな困難にも打ち勝ってみせる!』」
「・・・」
「どうかな?」
「・・・」
「ハハハ・・。やっぱりダメだよね・・ハハハ・・」
私は握っていた純平の手を、さらに強く握り締めた。
「ハハハ・・って・・え? 泉ちゃん!?」
「私はわがままで、自分勝手。でも、私は変わりたい。
純平と一緒にいれば、きっと私は変われると思うの。
だって、純平はすごいもの。純平は自分の未来を自分で選んだんだもの。柴山純平として。
だから、私も純平に負けずにがんばる。
こんな私でよかったら、少しだけ、純平と特別な関係になりたい・・」
「泉ちゃん・・?」
「ダメ・・かな・・」
その後、純平は飛び上がって、公園をぐるぐると走り回っていた。
私には、そんな純平の子供っぽい姿も含めて、すべてが柴山純平なんだと思えるようになっていた。
生まれて初めて出来た、私が大切に思う人。
絶対に失いたくない人。
まだ始まったばかりだけど、純平とならきっと・・。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
純平は泉のことが好きだけど、本編では全然報われません。そこで泉とくっつけてみようかなとチャレンジングに書いてみました。単に泉が純平に好意を持つだけではなく、泉が純平にベタ惚れになるくらいの小説を書きたかったので、かなり純平には無理してもらいました。今回は内容を詰め込んだので、長くならないように展開を早くしました。それでも11話もかかりましたけど・・。ちなみに(3)で純平が話していた、「人間の世界に戻ったらやってみたかったこと」は、なんだったと思いますか?
【ビートグレイモン・設定】
純平が自分の命を媒体にして、ブリッツモンとボルグモンをダブルスピリットで融合させた姿。名前は、ビートル(Beatle)+グレイト+モンスターから。ブリッツモンと同じヒューマン型。しかし、装甲はブリッツモンにさらに一枚鎧を着せたように分厚くなっている。ブリッツモンとボルグモンの中間程度の大きさであるが、肩やボディラインはすべて鋭角になっており、最新の近代兵器を連想させる。
背中の装甲を開き、プラズマを放出させ、周りの温度を一気に上昇させる。温度差を利用して発生する空気の層の間を、稲妻と同じ原理で瞬間移動できる(『ライトニングベロシティ』という技名)。よって、いつでもどこでも移動できるわけではなく、目的の場所を狙って移動するだけである。また、プラズマの放出で上昇気流を作り、空中に浮遊することができる。
頭部はブリッツモンと同じ角になっているが、分離が可能。分離すると大型の電子ライフルとなり、遠距離からスナイプして相手を狙撃する。必殺技は、電子ライフルからプラズマエネルギーを発射する『ロックオンフィールドデストロイヤー』。あらかじめライフルからマイナスのプラズマエネルギーを照射して、ターゲットに付着させる。マイナスのエネルギーとプラスのエネルギーが引き寄せられるため、まるで弾が誘導されるかのように見える(かなり強引な設定です)。
もしセラフィモンが純平にダブルスピリットの力を与えていたら、この形態になっていたかは不明。実は純平の願望を多分に含んだデジモン。遠距離から敵をロックして狙撃するというのは、戦って痛い思いをしたくないという、ちょっぴり弱気な純平の願望が入っている。そのため、敵に近づかれると基本的には瞬間移動。遠距離から誘導弾を撃つという攻防スタイルを持つ。