春風中は予選を勝ち抜くことができるのか?
登場人物
白金太郎。愛称「金太」。春風中学校2年生で柔道部の主将。
権藤大三郎。現在は東京に引っ越しており、明法大付属中の2年生で柔道部に所属。
──ワァァア!
轟くような歓声の中、金太の目の前で、副将の大河原が試合をしていた。
「頼む、大河原! 俺まで回してくれ!」
金太は懸命に叫んでいた。
大河原が負けた時点で、春風中は一回戦で負けとなる。
そうなれば、いままで隼人と居残り稽古をした努力は、すべて水の泡になってしまう。
だから、金太は祈るような気持ちで無我夢中で叫んだ。
「大河原、がんばれ!」
大河原が勝てば、自分が試合をできる。
そうすれば、自分が必ず勝つ。春風中は初戦を突破できる。
金太は大きく肩で息を切らしながら、大河原が勝つことだけをただ神に祈るしかなかった。
その一方、金太の見えないところで、南条隼人は他の1年生部員たちに囲まれていた。
<南条、どういうつもりなんだよ、ふざけやがって!>
<負けたら、全部コイツのせいだぞ>
<白金主将に可愛がられてるからって、調子にのんな!>
<俺が制裁してやるぜ>
「ううっ、スミマセン・・オレ・・」
降りかかる雑言罵倒。
髪の毛を掴んで強引に立たせされる。
腹を殴りつける部員。
「がはっ・・!」
隼人は大きな体を丸めて、ただ非難の声に耐え続けた。
<時間切れ、勝負あり!>
大河原がなんとか優勢勝ちをもどきる。
その瞬間、春風中部員全員から、ほっと安堵のため息を漏れた。
試合場から戻ってきた大河原の視線に入ったのは、金太の姿。
「おい白金、戻っていたのか! よかった。もう間に合わないかと思ったんだ」
「ハァハァ、大河原、よくやったな! あとは俺が一本取って決めてやる」
「ちょ、ちょっと待て! お前は汗でびっしょりじゃないか。
それに肩で息をしているぞ。そんな疲れた体で試合なんかできるわけないだろ!」
「20分ほど全力で走っちまったからな。ちょうどいいハンデだろ」
「白金、相手をなめるな」
「大丈夫だ」
「そうだ、2階の観客席見てみろよ」
大河原が指を差した方向に沿って、視線を向ける。
そこにいる人物をみたとき、金太は口から心臓が飛び出そうになった。
「どうしてアイツが・・!」
「俺たちの予選を応援しに来てくれたみたいだ」
「権藤大三郎・・!」
2階の観客席にひときわ大きな体。
権藤大三郎だった。
金太の顔にうっすらと緊張が走る。
(どうして大三郎がここにいるんだ・・。
まさか、昨日の電話で俺のことを心配して、東京からわざわざ来てくれたのか・・?)
なぜか心臓の鼓動が速くなる。
権藤が見ていると考えただけで、緊張して額から汗が流れる。
(大三郎の前でブザマな試合はできない・・。
大三郎に、俺がまだ柔道のライバルであることを認めさせるためにも。
いや、逆に考えれば、大三郎に俺の力をみせる絶好の機会でもあるんだ。
それにもし俺が負けたら、南条の柔道部での居場所がなくなってしまう。
だからこそ勝たなくちゃいけない。俺は負けられない。
俺には背負うものがたくさんあるんだ。こんなところで立ち止まっていたら、
大三郎に顔を会わせることもできないし、追いつくことだってできないじゃないか!)
金太は、自分に渇を入れるようにハアッと気合を入れる。
<春風中、白金太郎くん。青空中、田所太くん。前へ>
金太は緊張した面持ちで、試合場の中央に進む。
相手は無名校の選手だったが、金太よりも体が相当に大きく、横幅も大きい。
両者は中央で激しい睨みあいを続ける。
<はじめ!>
金太の全国大会への緒戦が始まった。
金太はハァハァと肩で息をしながら、左右にステップを踏む。
そして、相手の出方を伺う。
相手は名も知らぬ無名校の選手。
どんな技をかけてきても、対応できる自信はある。
問題は勝ち方だ。
権藤大三郎の見ている前で、綺麗に一本勝ちを決める。
自分がこの一年間、死に物狂いで練習した結果を、いまこそ権藤に見せ付ける機会でもある。
金太は、相手が襟を取りにきたところをすばやく払い、右足を一気に踏み込む。
相手の鎖骨の辺りの襟をとり、強引に得意の背負い投げに持っていく。
「うおおおっ!」
いつもの金太の体勢。
いつもの金太の勝ち方。
(余裕だ。もらったぜ!)
金太の強靭の足腰をもってすれば、この体勢からあっという間に一本だ。
しかし、なぜか相手は持ち上がらなかった。
相手は金太の動きを予測していたのか、後方に回り込んで体重を後ろにかけた。
背負い投げの体勢から、相手から前方へ踏ん張る瞬間を狙っていた金太にとって、大きな誤算だった。
(ハァハァ・・ちくしょう、コイツ重たい・・全然うごかねぇ・・)
金太は強引に背負い投げにいくが、それは誰が見ても明らかに無理な体勢だった。
<白金主将、落ち着いて!>
<いつもの調子ならば、絶対に勝てます!>
<いったん、離れてください>
しかし、部員からの声援もいまの金太の耳には届かない。
(クソッ、なんで背負いが決まらないんだ・・! こんなみっともない試合なんて・・)
ふと、視線を上に向けると、そこには観客席の権藤大三郎の姿。
まるで、苦戦する金太を笑っているように見えた。
(大三郎・・。俺を笑っているのか・・こんな相手に苦戦している情けない俺の姿を・・)
一瞬、金太がふとそんなことを考えたとき。
「ヘヘッ、もらったぜ!」
相手は強引に懐に飛び込んだ金太を、背中から押しふづすように体重をかけて倒した。
「し、しまった!」
金太は不用意に伸ばした左足をすくわれて、半身の状態で畳に叩きつけられる。
<技あり!>
審判から、相手のポイントを宣言する声が響き渡った。
(ハァハァ、俺が先に点を奪われたのか・・?)
金太の心は大きく動揺した。
まさか、無名校の選手に、自分がポイントを取られるなんて。
(ちくしょう、体が思うように動かない・・。コイツ誰なんだ・・こんなに強かったのか・・!)
金太はハァハァと大きく息をしながら、押さえ込みに入ろうとする相手から脱出しようとしていた。
相手が狙っているのは明らかに寝技だ。
金太の背中から、襲い掛かるデブで大きな体。
権藤以上の巨体。
重たくて動けない。
のしかかる体重に背中が悲鳴をあげる。
そして、背後から厭らしい小声がする。
「ヘッ、これが春風中の白金太郎か。全然たいしたことねぇな」
「なに・・!」
「滝のように汗を掻いてるな。それに息も上がってる。
どうして試合前からこんなに汗をかいて、疲れきっているのか・・。俺様をなめているのか?」
「なんだと・・」
「東海地区で最強と噂の白金太郎が、この程度か。とんだ見掛け倒しだぜ」
まるで自分を侮辱するような言葉に、金太はムキになって寝技の体勢を外そうとする。
しかし、相手の体は山のように動かず、金太を上から潰しにかかる。
ただ時間だけが過ぎていく。
(なにが起こったっていうんだよ・・・。俺がこんな野郎に負けるわけがない!)
金太は寝技の体勢を外そうと、何度も体を左右に揺すって相手を振り落としにかかった。
しかし、相手の体は動かなかった。
いつのまにか、相手は金太の道着の襟をしっかりと上から押さえつけ、気管を圧迫する。
いわゆる首絞めの体勢だ。
金太の額から、滝のような汗が滴り落ち、酸欠になるようなめまいもしてくる。
(ハァハァ・・・どうしたんだ・・思ったように体が動かない・・。
苦しい・・。意識が薄れていく・・。俺はこんな相手に負けるのか。
全国大会で大三郎と戦って、俺はなにかを変えたかったんじゃないのか。
そのために、ずっと南条隼人と練習をしてきたんじゃないのか・・)
金太の呼吸はさらに荒くなり、目がだんだんとかすんでくる。
(こんなところで、負けてたまるか・・こんなところで・・)
・
・
金太がふと気づいたときは、道場の真ん中で審判に声をかけられていた。
「おい、白金くん、しっかりしたまえ!」
「あれ・・俺は・・」
「意識は大丈夫かね? いま係員が肩を貸すから保健室でゆっくりと休みなさい」
「えっ・・待ってください! 試合は・・試合はまだ・・?」
「君は寝技で失神してしまったからね。残念ながら一本負けだ」
「一本負け・・俺が・・?」
金太は、審判の言葉の意味が分からなかった。
しばらく試合場の中央でボーゼンとした。
試合が始まってからまだ数分、いや数秒しか経っていないはずだ。
まさか、勝負が決したというのか?
一体、なにが起こって、どうして負けたのか?
金太には皆目、検討がつかなかった。
それほど、惨めで無残な負け方だった。
試合場の中央で、腰をついたまま動かない金太。
目の前で話しかけてきたのは、副将の大河原だった。
「白金、今年の俺たちの大会は終わった。保健室に行こう・・」
「ウソだ・・俺は負けてない・・」
「負けたんだ」
「違う・・」
金太の目はウツロで、まるで周りが見えていなかった。
タダをこねる子供のような金太に対し、大河原は怒ったように言葉を返した。
「白金らしくないぞ! お前の完敗だったんだ。だから、潔く試合場から立ち去ろう。保健室に行くんだ」
「くっ!」
金太は死んだ魚のような目をしたまま、ゆっくりと立ちあがった。
周りの歓声も、応援も、すべての声が自分を罵倒しているように聴こえた。
いたたまれなくなり、金太は耳を塞いだ。
(俺はなんてことをしちまったんだ・・・。
部員全員の夢を潰えさせた。みんなの信頼を裏切ってしまった。
そして大三郎との約束も果たせず、南条の居場所も失わせた・・。俺は主将として失格だ。俺は一体どうすれば・・・)
金太は必死に涙を耐えた。
その場いる誰にも、自分の涙をみせたくなかったから。
権藤大三郎だけには、悔し涙をみせたくなかったから。
次回に続きます。