予選で敗退した金太は・・?
登場人物
白金太郎。愛称「金太」。春風中学校2年生で柔道部の主将。
権藤大三郎。現在は東京に引っ越しており、明法大付属中の1年生で柔道部に所属。
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保健室で問診を受けた金太は、数分してようやく解放された。
扉をあけると、そこにはうなだれた春風中の部員たちが座り込んでいた。
みな、一回戦で負けたことがショックなのか、顔には生気がない。
ただ黙って嗚咽する者、ふて腐れてうなだれる者、壁に寄りかかって黙る者、誰一人として明るい顔の者はいなかった。
金太はその光景をみて、愕然とした。
そして、悔しさに唇を噛んだ。
自分が負けたせいで、みんなの夢と希望を砕いてしまったのだから。
「痛いですっ! やめてください!」
多くの者がうなだれる中、通路の隅で1人の柔道部員が囲まれていた。
<すべては南条の責任だ!>
<コイツがきちんと試合にでてれば、こんなことにはならなかった>
<生意気なんだよ!>
<全員の前で土下座しろ!>
1年生たちは、南条隼人に対して責任を追及していた。
そもそも隼人は金太に1人だけ可愛がられ、
さらにレギュラーに選ばれたのだから、他の1年生たちは面白くないと感じていたのだ。
ここぞとばかりに、非難が集中していた。
「ううっ、ごめんなさい」
隼人は、髪の毛を掴まれ、引っ張られる。
部員たちに顔や腹を蹴飛ばされ、膝をつく。
すでに隼人の顔に、たくさんのアザがあった。
おそらく試合が終わってから、同級生に殴られたのだろう。
1人が隼人の髪の毛を引っ張り、全員の中央にひきずりだした。
「ぎゃああ、やめてください!」
全員の前で晒し者のように四つん這いになり、厳しい視線を浴びる。
隼人はその視線に耐えられなくなり、涙を流し続けた。
「ううっ・・ごめんなさい・・すべてオレが悪いんです・・」
1年生が、隼人に近づいて頭を掴んで持ち上げる。
「ホラ、白金主将の前で、土下座して謝れ!」
「ううっ・・」
「白金主将の顔をしっかり見ろよ!」
隼人は大粒の涙を目に浮かべて、金太に顔を向けた。
──いい加減にしろよ!
通路に響く金太の怒声。
金太がその場の雰囲気を断ち切るように、叫んだのだ。
部員全員がハッとして、金太に視線を送る。
金太は、全員の顔をゆっくりと見渡すと、重い口を開いた。
「今日の試合の責任は、すべて主将の俺にある。
だから、南条を責めないでくれ。南条を選んだのは俺なんだから」
その言葉に、水を打ったようにシーン静まり返る。
金太はさらに言葉をつなげていく。
「俺たちはこの大会を勝つために、ずっと稽古をしてきた。
厳しくても苦しくても、それを根性で乗り越えてきた。
今日は一回戦で負けてしまったけど、精一杯やった結果がこれだったんだ。
南条も、ずっと努力していた。がんばったんだよ。
でも、俺は弱かった。悔しい。今日負けたことは一生忘れない。
だから、俺は柔道を続ける。来年、借りを返すために、もう一度やり直す。
みんなも今日の敗戦にめげずに、また一緒に柔道をやろう。
それから、俺は責任をとって、主将をやめる。だけど、俺は主将をやめても戦うから・・。
来週の部活で、そのことについてみんなと相談したい。俺の主将としての責任については甘んじて受けるつもりだ。
今日はもう解散しよう。みんな疲れただろう?」
金太の言葉に、みな顔を伏せ静まり返っていた。
しばらく沈黙が続いた後・・。
「白金の言うとおりだ。もう一度、一からやり直そう!」
突然大きな声を出したのは、副将の大河原だった。
「大河原・・?」
「白金は、春風中の主将としてよくがんばったよ。誰も責めはしない。
お前には主将として引っ張っていく不思議な力がある。だから俺は一緒に続ける」
その声に目が覚めたのか、全員から「俺も!」「主将はやめないで」という声が次々にあがった。
全員の掛け声は金太に勇気を与えてくれた。
「みんな、ありがとう。次の稽古の日にみんなで話し合おう。だから今日はもう休んでくれ」
「「「はい!」」」
先ほどまで沈んでいた部員たちの目は、金太の一言で生き返ったようだった。
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人がいない通路の一角で、2人だけがポツンと取り残されていた。
「うっ・・ううっ・・」
通路の真ん中で、四つん這いの姿勢のまま、床に涙を零しつづける南条隼人。
そして、下を向いたまま、無言で立ち尽くす白金太郎。
「うっうっ」と嗚咽する隼人を黙って見守りながら、金太は拳をギュッと握り締める。
今日の出来事で、隼人に大きな心の傷を負わせてしまったのではないか。
隼人の泣き声を聴くたびに、金太は自分自身の力の無さを責めた。
自分が試合に勝っていれば、こんなことにはならなかったのだから。
金太は喉をつまらせながら、声をかける。
「南条、もう泣くな」
「うっ、うっ・・」
隼人の目の前に歩を進めて、金太は片膝を落とす。
そして、手をかけてやんわりと話しかけた。
「ごめんな。俺が勝っていれば、こんなことにならずに済んだんだ。
俺がもっとしっかりしていれば、南条がみんなに責められることもなかったし、
お前だけが泣くこともなかったんだよ。ごめんな、本当にごめん・・。許してくれ」
「ううっ・・・オレが自分勝手なことをしたせいで・・・オレのせいです・・」
「違うよ。南条に柔道部の居場所を作ってやることも、南条に柔道を続けさせることも、
すべて俺の役目なんだ。主将として俺がやらなくっちゃいけないことなんだよ。
次の稽古の日には、俺はなんとしても南条の居場所を作ってやるから。南条のことは守ってやるから。
だから柔道を続けよう。俺と一緒に続けていこう」
「そんなことしなくていいです・・・オレは柔道部をやめます・・」
「バカなことはいうなよ! 俺が絶対にやめさせるもんか」
「そんなにもオレのことを・・えぐっ・・」
「ホラ、しっかり立て」
金太は隼人に手を差し伸べる。
隼人は涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげ、そして金太の手を握り締めた。
「ううっ、主将・・・」
隼人は立ち上がると、すぐに崩れるように金太の胸元に抱きついた。
「オレ、とんでもないことしちゃって・・」
「もう泣くな」
金太は隼人をそっと包んであげる。
隼人が金太の胸の中で泣きじゃくっていると、背後から低い声が聴こえた。
<取り込み中のところ、悪いな>
通路に響く聞き慣れた声。
金太は、その声に振り向かずに、ゆっくりと目を閉じる。
そして背中で答えた。
「大三郎か・・」
「・・・」
「今日は東京から来てくれてありがとう。でも、みっともないところを見せちまったな」
「そうだな。お前のあんなブザマな試合は見たくなかったぜ」
「・・・初めて失神させられたよ。笑っちゃうよな」
「ヘッ、まったくだぜ」
「俺の試合を見て失望しただろ? 俺はこの1年間で何も進歩していなかった。
もうお前のライバルと呼べるのか分からない。もう、俺のことなんかどうでもよくなっただろ・・」
「・・・」
権藤はただ黙っていたが、コツンコツンと足音をさせて金太の元にゆっくりと近づいた。
権藤は金太の背中まで近づくと、話しかけた。
「悪いが、だいたいの話は大河原から聞かせてもらったぜ。
それと通路でお前とその坊主が話していた会話もな」
「・・・」
「お前に子供のように抱きついている坊主が、昨日告白したヤツか?」
その無味乾燥な発言に、隼人は金太の胸から顔を起こした。
そして、震えながら権藤大三郎を睨み付ける。
「あなたが権藤大三郎さん・・。昨年の柔道大会のビデオを見たからよく知っています。
白金主将のライバルで、汚い手を使って白金主将を振り向かせようとする、ひどい人だ」
「へぇ・・いきなり生意気なことをいうじゃねぇか」
「オレ、あんなひどい方法で白金主将を自分のものにする、あなたのことが嫌いです!」
隼人の敵意を剥きだしにした言葉に対し、権藤は普段と変わらぬ口調で切り返した。
「あんなこと・・? キンタをリョウジョクしたことを言っているのか?」
「そんなことをしてまで、白金主将を自分のものにしたいんですか!
どうせ試合だって、白金主将の体を触って、リョウジョクして勝ったに決まってる!」
「くだらねぇな。キンタの体をちょっと触ったくらいで、勝てるわけがないだろう?
俺は自分のためにずっと練習してきた。それが昨年の柔道大会の結果だった。
俺にとってキンタとの試合は特別だ。真剣勝負なんだよ。お前にとやかく言われる筋合いはないぜ」
権藤の返事の意味が分からずに、困惑する隼人。
しかし、すぐに目尻を吊り上げて切り返す。
「訳の分からないことで、ごまかさないでください!」
「坊主がいちいちうるさいぜ」
「オレを坊主呼ばわりしないでください。『南条隼人』って名前があるんです」
「へぇ。南条くんは、これからどうするつもりだ?」
「これから・・?」
「そうさ。キンタに"好きだ"って告白したんだろう? その勇気だけは認めてやるよ。
坊主のくせにたいしたもんだぜ。でも、キンタは受け入れなかったはずだ」
「・・・」
「どうしてそんなこと分かるのかって顔してるな。分かるんだよ。
お前は甘ちゃんで、自分のことしか考えていない。だからキンタが納得するはずがない。振り向くはずがない」
「勝手なことを言わないでください」
「お前はキンタと柔道を続けていけるのか? その答えを出せたのか?
お前のせいで春風中は負けた。お前が自分勝手なことをしなければ、全国大会に行けたのに。
お前は責任を感じているのか? 俺にはただ泣いている甘えん坊にしか見えないぜ」
「オレが甘えてる・・?」
権藤大三郎の態度は、相変わらずふてぶてしいさに満ち溢れていた。
金太は、背を向けて一度も権藤の顔は見なかったが、
権藤がどういう表情をして話しているのか、手に取るように分かっていた。
その一方で、隼人は権藤のケンカを売るような発言に、怒りをあらわにしていた。
「オレにももちろん責任はあります・・。だからオレは柔道をやめます。それで責任を取ります」
「へぇ、やっぱりとんだ甘ちゃんだぜ。だからお前じゃキンタの相手にはなれないんだ」
その言葉に、隼人は体を震わせて怒鳴った。
「どうして、あなたにそんなことを言われなくちゃいけないんですか!」
「お前は全然分かってないんだ」
「なにをですか!」
「キンタはお前のことを真剣に考えているのに、お前は全然分かっていないと言ってるんだよ」
隼人は権藤の言葉に、驚いたような声を上げる。
「主将がオレのことを真剣に・・?」
「そうだ」
「主将はオレとは付き合えないといいました。だからオレのことを真剣に見てくれていない・・」
「本当にガキだな」
「な、なにを!」
権藤と隼人は、お互いに目と目を真剣にぶつからせた。
顔を紅潮させる隼人に対し、権藤はいつもの涼しい顔のままだった。
権藤が先に切り出す。
「お前はキンタに泣きついていれば、それで済むかもしれない。
しかし、キンタはそうはいかないんだ。俺の言っている意味が分かるか?」
「・・・」
「分からないなら、教えてやる。
この大会で負けて、一番悔しいのはキンタなんだよ。
キンタはこの1年間を死に物狂いで稽古してきたはずだ。
それが、無名校の相手に負けて、いまは身も心もボロボロなんだよ。
キンタはすぐにでも泣きたい気持ちなんだ。しかし、お前のことを真剣に考えて、自分の悲しみは抑え込んでいる。
そんなことも分からないお前に、キンタが振り向くわけがない」
「うっ・・偉そうなこと言わないでください!
権藤さんだって、白金主将の恋人でもなんでもないじゃないですか!」
「そうだな。俺もキンタの恋人じゃない。
それに以前の俺は、お前のように自分のことしか考えていなかった。
だからお前を見てると、腹が立つんだよ。昔の自分を見ているようで、腹が立つんだ」
「なにを勝手なことを!」
「いまの俺はキンタのことを冷静に考えられる。少なくともお前よりはな。
長い時間をかけて、俺はキンタの気持ちを理解できるようになったんだ。
人の気持ちを理解するには時間がかかるんだよ」
「理解できなくても、オレは主将のことを大切にできます!」
「できないんだよ。なぜなら、お前はいまもキンタに甘えようとしているからだ」
「そんなことありません・・・」
2人の間に、ピリピリとした緊張が走る。
隼人は権藤のことを睨みつけていたが、権藤はいたって平然としていた。
重苦しい空気の中、金太が口を開いた。
「もうやめてくれ。オレは別に苦しくなんかない。悲しくもない。俺のことはどうでもいいんだ。
俺はただ、南条のことが心配なんだ。南条がこのまま柔道をやめてしまったら、
それはすべて俺の責任なんだよ。だから、南条を放ってはおけないんだ」
「主将・・」
金太がキッパリと断言してくれたことが、隼人はとてもうれしかった。
(白金主将はオレのことを心配してくれている・・。権藤さんよりもオレのことを。その優しさが好きなんです・・)
隼人が二コッと笑いかけると、金太も微笑みを返す。
金太はそっと隼人の肩に手をかけた。
「南条、これから家まで送ってやるから・・」
「ハ、ハイ!」
その優しい言葉と笑顔に、隼人の心は自然と癒された。
(白金主将は、いつもやさしくて、微笑んでくれる。
白金主将は強い人だ。精一杯戦って負けたんだから、悔いを残すような人じゃない。
何も分かっていないのは、権藤大三郎のほうなんだ!)
隼人は肩に置かれた金太の手に、自分の手を覆いかぶせるように合わせた。
しかし、その手を握った瞬間、ハッと気がついた。
(震えている・・白金主将の手が震えている・・。
どうして・・。白金主将は強いはずなのに。いつでも堂々として何事にも動じないはずなのに・・)
隼人がゆっくりと金太を見上げると、いままで見たことがないような、金太の悲しい瞳があった。
顔は優しく微笑んでいるのに、目だけは遠くを見つめて、まるで自分が視界に入っていない。
まるで悲しみをどこにも向けることができず、自分で自分を傷つけているような、そんな風に見える。
隼人は、そのとき金太の本当の心を見たような気がした。
(白金主将・・そうか・・。オレは、バカだ・・。
オレは自分のことばかり考えていた。
白金主将がどうしたら振り向いてくれるか、どうしたら恋人になれるのか、そんなことばかりを考えていた。
地区予選の前日なのに、自分勝手に告白して白金主将を困らせて、
エッチしてくれれば、今日の試合を勝ち抜くなんて、ひどい約束までして白金主将を自分のものにしようとした。
フラれて苦しいのは自分だけだと思っていたけど、それは間違いだった・・。
・・・。
白金主将も苦しかったんだ。
主将は部員全員の面倒をみていて、オレだけのものじゃない。
それに地区予選を一番勝ち上がりたかったのは、誰でもない、白金主将だったんだ。
毎日柔道のことばかり考えて、1人で遅くまで稽古をして、誰にもその苦しさを打ち明けないで、
そこまでがんはって、負けて悔いがないなんて、そんなわけがない。
オレは何も分かっていなかった。いま一番泣きたいのは、白金主将なんだ。
でも、白金主将はオレの胸の中では泣いてくれない。オレの前では決して涙を見せてはくれない・・。
白金主将が心を許せる人はきっと・・)
隼人は、肩に置かれた金太の手を振り払う。
そして大きな声で叫んだ。
「オレはもう大丈夫です! オスッ!
だから白金主将は権藤さんと帰ってください。オレは1人で帰ります。さようなら!!」
「おい、南条! 急にどうしたんだよ!?」
「もういいんです」
隼人は一度も後ろを振り向かずに、ただ通路を走り去っていた。
目に大粒の涙を浮かべて。
(白金主将、さようならです・・。今度こそさようならです・・。
オレ、分かりました。いま白金主将を包んであげられる人は、たぶんあの人だけです。
悔しいけど、オレには白金主将のことを、全然理解できてなかったんです。
オレはもっと強くなって、あの人を倒すくらいに大きくなれたら、そのときには白金さんと・・)
隼人の走り去った音だけが、体育館の通路に響いていた。
次回、最終回です。